花の下にて春死なむ
2021-04-23
「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」(西行法師『山家集』より)
桜の樹の下には・・・・・
親友の落語家から電話があって、親しい先生のお母様の訃報を知った。彼の元には複数の訃報があり、色々と気が滅入っていると漏らした。そこからがさすがは落語家、「どうして桜の花が咲く頃に、人が亡くなるのでしょう?」と自らに問いかけているのだと言う。思い返してみれば、僕の記憶にも「花の下にて」亡くなった方々の顔が複数思い浮かぶ。あの「桜」の喩えようもない美しさ、大地の養分がその花を咲く力として吸収され一気に咲き乱れるといった印象。古来から数多くの和歌に詠まれてきた「花=桜」には、単なる季節観だけでは済まされない生命の神秘的な力さえ感じられる。
冒頭に記したのは、著名な西行法師の歌。「願うならば私が心を奪われてきた桜の花が咲く樹の下で春に死のう、そんな如月(旧暦二月)の満月のころに」といった解釈だが、西行法師はこの歌通りに「春死なむ」の最期であったと云う。今年などは1月の寒い時期から桜の樹のある公園を歩くことが習慣となり、その蕾から芽吹き花が咲くまでをよく観察していた。固く包まれた蕾が花を咲かせるまでには、かなりの力がいるのではと思わせた。落語家曰く「花が咲くための力を人々の命から持ち去るのでしょうかね」と、確かに桜花爛漫は「始発であり終焉」でもあるような無常を感じさせる。しかし、それゆえに「桜の時節」には親しき故人を深く偲ぶことが、我々が「生命」を再確認できる時間となるものだ。
「桜」と日本人の不思議な関係
社会的な動向にも大きな影響を与える
「その如月の望月のころ」満月もまた人の生命の喩ともなる。
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