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「匂い」にまつわること

2021-04-16
夕方に隣家より漂うカレー
金木犀の咲く道を
そしてあの人の匂い

「匂い」には極めて敏感であると、幼少から自他ともに認めている。幼稚園に入園前までは、ある特定のタオルを日夜手離さずにいた。それは何となく自分なりの「匂い」になって、それを嗅ぐと安心感が得られたような感覚であった。母親がそのタオルを洗うと1日は代替品になるがそれでは用を為さず、洗い上がったタオルを再び要求し再度の「匂い付け」に励むといったようであった。そのタオルには「ひよこ」の刺繍がなされており、幼稚園入園とともに泣く泣く捨てられたことが鮮明な記憶として残る。その後も食べ物に異様な匂いがするとか、他の家を訪問した際の特徴ある匂いとか、自分の中では大変に大きな問題として存在していた。しばらくは布団の襟の部分がタオルを代行し、小学校の給食などでも匂いには、ある意味で過剰に反応していたのかもしれない。

学生らと「匂い」について語る機会に恵まれた。冒頭に記したようなのが、その典型的な例である。家路についた際にどこからともなく香るカレーの匂い、日本人はいかにもカレーが好きな国民なのだと思うことがある。隣家となれば、確実にそのメニューが特定される。草木では、金木犀の香りが鮮烈だ。庭に金木犀を持つ家があると、その周囲に近寄るだけで匂うものである。そして何より恋人の匂い、愛し合うという関係の中でお互いの匂いは個人差はあれど大変に重要な要素であろう。以上は「良い匂い」の例であるが、「おならの匂い」などやや負の匂いの存在も欠かせない。もとより人間の中の動物性の要素が、「匂い」においては表面化するようにも思う。などと考えると、学生らは洗濯の柔軟剤の種類などにたいそう敏感なことも知った。動物性への回帰とともに、より化学的な匂いにも囲まれている生活環境を知る。

「匂い」と言うか「香り」と言うか
マスク必須が求められて1年、嗅覚は衰えていないか?
「匂い」のDNAの合致は大変に重要だとも聞いたことがある。


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