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国語教師を目指すわけ

2021-04-13
小学校で一番授業数が多く
思考や感情あらゆる基礎になる
人々が多様なのと同じく国語も多様である

先週9日(金)から新年度の講義が始まり、この日は2日目。前期は担当講義が多く、ほぼ毎日のように何らかの講義がある。その多くが教科専門科目、いわゆる「国語」の教材内容について学びを深める科目となる。配当年次は1・2年生、「国語教師」を目指すにあたり「基礎体力」のような部分を養成する役割を担っている。野球などに喩えて考えると分かりやすいが、どんなに「技術」が高くとも「基礎体力」の無い者はプロとしては活躍できない。「国語教師」としての基礎基本、それこそが「内容学=教科専門」というわけである。昨今、「よい授業」という名の下に「指導技術」が重視される傾向にあるが、あまりに偏重するのはいかがなものか?と思う。型に嵌めたような「授業方法」は、「簡単便利」で素材や制作過程の見えない大量生産物と同様、虚飾と自己満足にまみれた物と思えて来る。

講義開きにあたり、新入生や2年生に「国語専攻や(国語の中高)免許取得を選んだ理由」あるいは「国語の魅力」について語ってもらっている。開始から2週間はオンライン講義と全学的に定められているゆえ、同時双方向システムでの対話を重ねている状態だ。新入生もそれほど戸惑うことはなく、画面の前で語ることに違和感はないようだ。この1年間、高等学校などでも経験した者も少なくないのだろう、オンラインが社会に十分に根を下ろしたようだ。テーマに対してどれほどに語れるか?は当人の「思考」そのものを物語るものだ。そのような意味で新入生も存分に「国語への思い」を語ってくれた。特に「文学」を学ぶことは「文化の伝承」、「ことばのDNA」を後代に伝える大きな役割を担う。ぜひ壮大な志をもって「国語」に向き合ってもらいたい。

国際化社会だからこその古典
現代の生活や感性にもどう活かされるか
そしてまた今は「役立つ」かどうかが判らない?から学ぶということも理である。


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