あらためて水のごとく
2021-04-01
「牧水」「如水」など名にも多く「水」は固定せず常に形や様態・性質までを変えられる
物事を決めつけたら、自らが小さな枠の中で苦しむ
若山牧水の本名は「繁」、旧制中学校時代から短歌を始め様々なペンネームを試している。しかし、母「マキ」への愛情が深くその「牧」の字と、故郷である日向市東郷町に流れる「坪谷川」の清流に思いを馳せ歌人「牧水」を通すようになったと云う。牧水の生家前を常にせせらぎの音を立て清らかに流れる「川=水」、鎌倉時代・鴨長明の『方丈記』冒頭に「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」ではないが、「水」は常に変化し続けている。牧水がその生涯において、旅を愛し自然と同化したのはこの「水」の姿に憧れていたからだろう。どんな形の器に入れても順応し自らの形を変えられる、温度が上がれば沸騰し蒸発もし空気中を飛散し、再び冷やされれば元に戻り地に還る。温度が下がれば固体となり地に根を張り頑固でもあるが、再び温度が上がればその姿を消してしまう。変幻自在でありながら人間が必ず必要な要素を持ち、生命の根源を支えてくれている。
戦国時代の軍師として名高い黒田官兵衛、大分・中津を拠点としたり福岡の博多の街を造成したなど九州にも所縁が深い。官兵衛が晩年に名乗ったのが「如水」、まさに「水の如し」、戦略を一つ間違えば命取りの戦国時代に生き抜くには「物事を決めつけない」柔軟さが必要であっただろう。本能寺の変で織田信長が討たれてのち、豊臣秀吉が数日のうちに山陽方面から京に引き返した所謂「中国大返し」は有名だが、それを主導したのが官兵衛だと云われている。「この大軍を数日で京まで返すのは無理だ」と決めつけていたら、秀吉が天下を取るまでに歴史は動かなかったかもしれない。研究はもとより「決めつけないこと」、この世に「可能性がない」ことなどない。新型コロナ禍にあって地方生活が見直されているが、僕自身が早々に地方生活を選択したのも「水の如く」考えていたからである。「固体」は叩けば壊れてしまうが、「液体」は飛び散りさらに生き生きと弾け潤うのである。
「牧水」の母への深い思いに学ぶ
「如水」の柔軟な戦略こそが天下を動かした
「固体」ばかりが林立し政治・経済の中心である東京はやはり危うい。
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