過ちて改めざる是を過ちといふ
2021-03-27
「過ちて改めざる是を過ちといふ」(『論語』「衛霊公」より)
過ちはすぐに改めてこそ・・・
節目の年度末は、人生の様々な歩みを考えさせることが多い。卒業して旅立つ学生らとの4年間、過ちも失敗も紆余曲折もないわけではないが、その過程を経て大きく翔び立とうとする若い姿を見るのはこちらも大きな力を貰うことが多い。個々の学生にとって何が「正しく」何が「過ち」かは、誰もその時点では判らない。自己の中にあるものを掘り返し、同時に自らが知らない世界と多く触れ合う。田畑が耕されるように自らの存在を撹拌しないと、なかなか納得した道に進めるものではない。その「耕す・撹拌する」のは容易ではない。時に苦言や厳しい指摘をしなければ、若き「土壌」は耕されないことがある。親身に若き芽を育てるならば、妥協なき対話が必要な所以である。
かくいう僕自身も、振り返れば多くの「過ち」をしてきた。現在の道に迷いなく一直線に至ったわけではない。だがしかし、その都度の「過ち」を真摯に受け止め、時に苦しい淵に身を没しながら「改めて」来たからこそ今があるように思う。冒頭に引用した訓読文は、『論語』にあり教科書にもよく採録される一節である。「(誰しも)過ちを犯す(ことは仕方なくある)ものだが、それを改めないことこそを(真の)過ちだというのだよ。」という孔子の教えである。冬から春までの間、草木を寒さや雨が厳しく打つことで初めて新芽を出し花を咲かせるものだ。愛情ある自然は、草木にも鳥や虫たちにも厳しく過酷な過程を用意している。さて、人間はどうだろうか?親子でも師弟でも、厳しく「過ち」を改めるための言葉を投げ掛けているか?子や弟子の未来のためにも。
「過ちて改めさせしむ是を愛情といふ」
ぬるま湯の中では新芽も花も育たない
今を「過ち」と思わないために・・・
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