町内花だよりを歩く
2021-03-19
遊歩道の桜は場所によって花の咲き具合が違い
あの家この家に咲く花たち
桜のたよりも聞かれる時節となったが、今年もコロナ禍で「花見自粛」は変わらないようである。しかし、特に桜の樹の下で宴席を持たずとも、桜を存分に味わえると思う。中世の兼好法師『徒然草』に記された有名な章段「花は盛りに」では、桜の花は満開の時だけ見るものか?いやそうではないと説く。咲き始める前の蕾を眺めて咲く時を想像したり、散り萎れた後に余韻を楽しむのもよいと語っている。「心なき人」こそが満開だけを讃え、下品な行動で花見に及ぶのだと批判もする。現代でも花見に人が集中するというのは「満開」だけを讃えるからであり、先人の声に今一度耳を傾けるべきと思う。
さて、自宅近所の住宅街を望む高台にある公園までのウォーキングが日課である。この時期は、各住宅の庭先にどんな花が咲いているかも実に楽しみである。前述した『徒然草』では「その家に植えてある樹木のあり方で住む人の心が知れる」といった趣旨の章段もあった。かくいう僕自身はなかなか庭木の整備に着手できないのがお恥ずかしいばかりだが、見事に花をつけた庭木がある家を見ると憧れの心が蠢くのである。高台の公園では桜の樹が少しづつ蕾を膨らませ、枝先で気の早い花が咲き始めている。枝の形状や伸び具合を見つつ、冬を越えてきた裸で立っている個々の桜の樹に愛着が湧く。特に遠望として青島が眺められる樹の元で、いつも海に向かって祈りを捧げている。
樹木には多くの鳥たちが遊ぶ
植物の呼吸による美味しい空気を吸いながら
けふもまた町内花だよりを自らの心に刻む。
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