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遠隔講義が炙り出したもの

2021-03-18
学びに必要な思考を動かす
読み・考え・書く・見直す・循環性ある活動
定まった指導要領なき大学の学びこそ

僕たちが新型コロナに翻弄されて、もう1年が過ぎようとしている。今も先行きの不透明感は依然として変わらず、有効な対策が採られているとは思われない日々だ。東京の感染者は再び増加に転じ、変異ウイルスという新たな脅威がまた「何もわからない」社会の時間をさらに先延ばしにする。幸い宮崎県は「感染者0」が、しばらく続いている。昨年の「第1波」「第2波」の頃から言われ続けてきたが、「コロナ疎開」というのが現実的な選択かもしれない。このような情勢の中で、新年度の大学講義がいかなるものになるかも現実問題として僕らの直面する課題である。地方大学であり入学定員も都市部の私立大学に比べて少ないということを利とし、対面の学習機会をどれほど取り戻せるかも焦点の一つであろう。

今「取り戻せるか」と記したが、その表現は正直なところ本意ではない。正確には「対面の有効性をいかに活かせるか」が本心である。「やむを得なく『遠隔講義』になった」のは確かだが、それは大変に合理的で有効な学習環境を創ることに気づく格好の契機であったと考えたい。日本の大学で「単位の実質化」などが叫ばれて久しいが、欧米や東アジア諸国の大学に比べても日本の大学の学びがあまりにも「甘い」という現状が今も十分に改善されたとは思われない。嘗ては「大学レジャーランド」などと揶揄された大学教育、4年間を遊んでいても卒業できるというのは、社会に羽ばたき将来を支える人材を育てる上で大きな悪弊になってはいないだろうか。2000年代になってから指摘される日本社会の「内向き志向」は、「90分教室に座っていれば(何ら思考せずとも)出席となる」大学講義」に責任はないのだろうか。「遠隔講義」で課題の過剰さが話題となったが、僕自身の収穫としては、ようやく単位内容に見合った課題量で学生の思考の練磨ができるようになったと考えている。

遠隔で獲得した方法を活かしつつ対面の意義を探る
「コロナ以前」大学の学びを省みる
あらゆる分野において、このウイルスはその真価を炙り出しているような気がする。


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