曜日を失ったひとひ(一日)
2021-03-13
曜日は何によって創られるのか「ゴミ出し」「時間割」「テレビ番組」???
人間がただ社会で生きるためのシステム
曜日は時間を人工的単位で区切り、各々に「日月火水木金土」と名付けたものである。「週」の起源を百科辞典類で調べてみると、ユダヤに始まり前2世紀〜1世紀ごろローマ暦の中で確立された。七日ごとに仕事を中断し神の業をたたえるのが「安息日」によって「週」を生み出し、やがてキリスト教会に入って世界的になったとされる。日本への伝来で早いものは空海が唐から伝えた『宿曜暦』であるとされ、藤原道長『御堂関白記』には「週」が連続的に用いられたのが記録としては最も早いものとされる。現在の週日制太陽暦が採用されたのは1876年(明治6)、その際に「日曜休暇・土曜半日休暇」が太政官逹に記されていたと云う。暦法の「日・月・年」は昼夜・月の満ち欠け、太陽の運行などの自然で定められたものであるが、この「曜日・週」だけは人工的な周期であると指摘されている。
前述のように「曜日」を捉えると、それは社会活動との繋がりの上で必要なものである。「ゴミ出し」「時間割」「テレビ番組」などはすべて、社会と個人が円滑につながって生活するためのシステムである。明治6年以降も江戸時代からの職人さんの習慣が拭われず、十日毎や1日と15日を休むことが続いた職種もあると云う。ある意味で近現代の社会的システムが、「曜日」の鋳型の中で人々が勤しむことを習慣化させてきた訳である。新型コロナ禍によるテレワーク推進や地方移住などの流れは、この明治以来の社会的制度にも変革を求めているのかもしれない。著述家である親友が「フリーランス」ゆえの生活の機微をメルマガなどで伝えてくれているが、まさに曜日に囚われない自由さが感じられる。むしろ自分しかできない「曜日」の制度を確立し、仕事に臨んでいるように見える。24時間の使い方も同様だが、社会との関係性と自らのやるべき行動は上手に切り分けるのが「著述」などの上では重要であるようにも思う。
なぜか?「曜日」を感じなかったひとひ(一日)
「著述」「研究」の重要な感覚かもしれない
人工的な社会よりも自らが自然に生きている感覚を大切にしたい。
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