10年目の14時46分
2021-03-12
「あの時」身体を震撼させた揺れやはりその時も友のカフェに避難
ただ「ひとりじゃない」と思いたくて
「あの日」誰しもが「その時どうしていたか」を鮮明に記憶しているとき。東京の自宅マンション近くの大通りの交差点で、街灯はメトロノームのように揺れ角の銀行のガラスが割れんばかりに軋み、僕はただ無力で小さな自分の身をどうすることもできずに立ち尽くした。幸いにあまりにも幸いに、命に別条はなく怪我に見舞われることもなく、その交差点での揺れは収まった。すぐに自宅に引き返すがもちろんエレベーターは緊急停止状態、12階まで階段を駆け上がり自宅内の状態を確かめた。玄関や寝室それにリビングは大きな変化はなかった、ただ42型のテレビはキャスター付きの台座のまま回転し背中をこちらに向けていた。むしろ回転できる「遊び」があったから転倒しなかったのだろう。だが書斎のドアを開けると本棚が尽く倒壊し、何よりも大切な書籍類が散乱し机上のPCは辞典類に押し潰されていた。しかし、自宅にいたらこの書斎を護らんとして命が危なかったかもしれないと、喩えようもない恐怖を覚えた。
そのまま自宅になどいることができず、徒歩10分以内で行けるその数年前から友だちとなった店主が経営するカフェに行った。夜の8時近くまでそこに滞在したであろうか、したがって地震直後のTV 報道はあまり目にすることもなく、スマホでSNS情報を中心にこの歴史的時間を過ごしていた。まかり間違うとパスタ釜の熱湯を浴びていたかも、そんな店主の恐怖体験も耳にして、すべての人々の命が紙一重な運命の中で生かされているのだと自覚した。こんなあまりにも安全な都会での「あの日」の体験、その時間にも多くの人々が想像もできない津波に命を押し流されていた。その後しばらく、余震も絶えず頻発する東京で、12階の自宅にいることに恐怖を覚えた。夜になると毎日のように懇意にするワインバーに出向き、親友からは「そこが家みたいですね」と言われたりした。「ひとり」でいることの無力感と恐怖感、人は何よりも自らを委ねられる「人」が必要なのだと痛感した。
10年目の14時46分は偶然にもやはり「友」といた
自然は容赦なく予告なく「人」に襲いかかる
それゆえに大切なのは「人」と「人」との繋がり以上のものはない。
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