短歌は聲で創るー若山牧水母校坪谷小学校訪問
2021-03-09
「園の花〜あ〜あ・あ」朝の小学校玄関に響く短歌朗詠の聲
山と川に囲まれた自然豊かな環境の中で・・・
これまで牧水祭や牧水賞授賞式をはじめとする行事で、牧水の母校・坪谷小学校の児童たちによる短歌朗詠を聴く機会があった。その都度、なぜか聴いているだけで涙が溢れ出て来てしまった。その理由はなかなか説明できないのだが、未来ある子どもたちの素朴な聲と純粋無垢に朗詠に向き合う姿勢とともに、牧水短歌の持つ愛誦性の複層的な要素が涙を誘う要因だと思う。今回はその秘密を探るべく、坪谷小学校の朝の朗詠と「牧水タイム(短歌創作の時間)」を見学するために同校を訪れた。自宅をまだ闇の深いうちに出立し、日向の山路を登る頃には春霞とともに明るさが増して来た。7時前に現地に到着すると、既に一人の児童が登校し玄関前にいた。それを校長・教頭が出迎えて、冒頭に文字で一部を記したような朗詠を始める。背景には「群ら立つ山々」があり、どこからともなく人家の煙が棚引いている。全員が登校するまで、しばらくこの朗詠が繰り返されていく。
僕のみならず牧水賞を受賞した歌人の方々は、この子どもたちの朗詠にほぼ例外なく涙する。その原点は、この日々の積み重ねであると秘密の一端を知る思いがした。「おはようございます」はもちろんであるが、大人(先生)ととも「聲」を交わし合うことは、「生命」を確認し合うことでもある。自然に囲まれているからこそ、ちっぽけな人間として子どもたちは個々の「命」を「聲」で確かめている。そしてその「命」が出逢うものを素材にして、「五七五七七」のリズムに載せていく。朝の課外活動から延長される「牧水タイム」は全員が短歌創作に向き合う時間である。興味深かったのは、1・2年生の短歌創作への取り組みである。まだ「文字言語」が未成熟であるが、子どもらは「聲」を駆使しつつ自らの体験を「三十一の聲」にしているのだ。中には「・・・・◯〜◯・◯」と小声で呟いている子どもがいる。一定の発達段階以上の「大人」は、短歌は「文字」だと思い込んでいる。あらためて牧水の歌を読み返せば判るが、「短歌は聲」なのである。
坪谷川のせせらぎの音を身に染み込ませ
自然の中で自らの生命を聲で確かめ合う
「短歌県みやざき」原点たる小学校である。
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