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自分自身の価値

2021-02-18
「人にほめられて有頂天になり、人にくさされて憂うつになるなんておよそナンセンス。
なぜなら、そんなことくらいで自分自身の価値が変わるものではない
(オムロンの創業者・立石一真の言葉。著述家・真山知幸氏のメルマガより)

あくまで自分は自分、褒められて有頂天になったりけなされて落ち込む必要などない。自らが信じたその道を、ただひたすらに歩むことが大切である。そんなことを考えさせられる名言が、親友の著述家・真山知幸氏のメルマガで届けられた。(冒頭に転載)褒められてなお自分には何が足りず何が優れているかと省みる必要もあり、また他人が事によると無責任に「腐す(悪意をもってわるく言う。)」ことを真に受ける必要もないということ。いま「腐す」に( )内注を辞書を参照してつけたが、往々にして「悪意を持って」という場合は、世の中に溢れかえっているものだ。さらに「悪意はなかった」「悪気はなかった」という場合についても先週の小欄(2021・2/12付)に記したが、そのこと自体が当人の素の思考であるゆえ、意識がないそのものが大きな問題でもある。

我々のように教育に関わる者は、常にこの微妙な線の上で勝負をしている。育てるべき学生を褒めるが有頂天にはさせず自己省察を求め、「腐す」ことなく過誤は指摘して改善を促す必要がある。根のない批判が学生の思いを萎縮させ伸びる者も伸びなくなる事態は、いかにしての避けなければならない。とりわけ「悪意はなかった」は言い訳にならず、育てるための匙加減と表現のあり方に自覚的であるべきだろう。特に大学生らは、自らの価値に対する評価が揺れる時代である。なかなか冒頭のように、達観できるものではない。繰り返すが「悪意はない」ことそのものが、意識・思考として悪辣なのである。「学校」では常識であるはずなのだが、中高の教員経験を含めていかがなものかに遭遇しない訳ではない。

個人の尊厳
基本的な人への向き合い方
存在価値を探している若者に向き合えばこそ。


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