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どうでもいいよというような海

2021-02-02
「今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海」
(俵万智『サラダ記念日』より)
海の包容力とちっぽけな人間

海を眺め海を抱きしめると、いつも『サラダ記念日』のこの歌を愛誦する。果てしない宇宙に球体の地球が浮いていて、その球面の塵のような一点にささやかな生命を抱いている自己存在。掲出歌は「私がついた嘘」に対して「どうでもいいよ」と「海」が呼び掛けてくれるという訳であるが、免罪してもらうというような思いとともに、「嘘」に悔やんでいた自分がちっぽけな存在であると気づき、どんな自分も全肯定する歌とも読める。寄せては返す波の鼓動に生命の根源を感じさせ、数限りなき海洋生物の棲家として海はいつも堂々としている。その言葉にならないような寛大さと包容力を湛えている海を眺め、愛する人にとっていつもそんな存在でありたいと思う。

掲出歌は『サラダ記念日』所収、それゆえか「嘘」はたぶん「恋人」に対してのそれと感じさせる。恋愛においては「嘘も方便」ということもあるだろうが、「恋」が「愛」になっていくためには、自然と「嘘」のない関係性を築くものと思う。愛する関係においては、相互のために「嘘」は苦しいだけだ。「嘘」を信じる側の純朴な心に対して、「嘘」をついている裏切りの思いほど辛いものはない。だが世間では、「嘘」が公然とまかり通っていることもある。コロナ禍の社会から断罪されるべき行為において、議員が同行者をかばうために「嘘」をついていたことが発覚した。あくまでここで記した「嘘」とは一緒にしたくないのだが、自動車のスピード違反でも逃げたらさらに重い罪に問われるのが世の道理である。せっかく穏やかで豊かな海が近くにある環境にあるゆえ、純朴な言葉に向き合って生きていたいものである。

人を愛するとはどういうことか?
ありのままの自分を相手に曝け出すこと
海を眺めながら話すだけで気づける自分がいる。


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