「太古よりウィズ・ウイルス」永田和宏氏のコラムより
2021-01-29
「数かぎりなき死と引き換へに飼ひならし我らウイルスの遺伝子を持つ」(永田和宏「つぶやく短歌 コロナ時代に14」宮崎日日新聞 連載より)
「人類の継続性に必須」であると云う。
1月28日付宮崎日日新聞17面文化欄に、前記の永田和宏さんのコラムが掲載された。世界的な細胞生物学者でもあり、歌人としても名高い永田さんの真骨頂ともいえる分野を素材にした一首である。昨今「ウイズ・コロナ」と盛んに喧伝されるが「人類はもう何万年も前からウイルスと共存、共生してきたのである。」として、「ウイルスの遺伝子の力を借りなければ、人類の継続性が保障されないという訳である。」とされている。新型コロナに関する昨春からの各国における対応を俯瞰していて、「ウイルスに打ち勝つ」と敵対視するような見方や発言に違和感を持った理由を明らかにしてくれたようで、喉のつかえが取れたような気持ちになった。我々人類の生存そのものが、「ウイルス依存」でしかあり得ない事実をまずは深く噛み締めておきたい。
東京の親友から電話があって、「新型コロナに感染した」と聞かされた。既に数週間は経っているようで、自宅隔離療養を経て陰性となり保健所から「隔離解除」の確認をもらったのだと言う。40度以上の発熱が2日も続き、病院からは抗生物質や頓服の漢方薬を貰っただけ。既に入院ができる医療の状況ではないらしく、首都圏の厳しい現実として生々しい声を聞いた。ここに来て特に「変異ウイルス」の感染について報じられているが、大抵は報じたられた頃には蔓延しているのが相場だろう。味覚・嗅覚の異常という自覚症状はひた隠しながら、感染力のみが増量している傾向にあるという報道も眼にした。まさにこの「変異」を目の当たりにしている我々は、人類が生き延びて来たことの一過程をまざまざと見せつけられているのかもしれない。もはや「ウイズ」ではなく、人の存在そのものにウイルス性があると言うべきではないか。
何万年も前から「死と引き換へに飼ひならし」てきた
多くの人々の歴史上の「死」の上に僕たちの「生」がある
敵として殲滅しようとすれば、自らを滅ぼすことにもなりかねないことを学ぶ。
- 関連記事
-
- 花と人ー運命としての共生関係 (2022/02/07)
- 短歌を通して東アジアの言語文化に生きる (2022/01/29)
- 短歌は手紙ー祖母へ捧げる歌 (2022/01/05)
- 推敲からが作ることー三十一文字の清らかな川 (2021/12/28)
- 短歌と回想と演じる虚構の効用 (2021/12/01)
- 驕らず素でありますように (2021/07/07)
- 短歌と一体になるあくがれのこころ (2021/07/06)
- 「太古よりウィズ・ウイルス」永田和宏氏のコラムより (2021/01/29)
- 「時」を創るのが短歌 (2020/12/19)
- 与謝野晶子の「髪」と「われ」 (2020/10/23)
- 自分の眼で現実をみること (2020/10/22)
- 佐佐木幸綱の一首(『心の花』2020年9月1463号)執筆 (2020/09/08)
- 新しい歌会様式で新しい発見 (2020/08/03)
- 33年目のサラダ記念日 (2020/07/07)
- オンライン歌集読書会ー『禽眼圖』『黒い光』 (2020/06/22)
スポンサーサイト
tag :