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ともかく思いを三十一文字

2021-01-27
教職大学院担当科目「国文学」
牧水・啄木・俵万智と近現代短歌を講読
そして最終回は受講者の創作短歌で歌会

教職大学院には学部卒の院生とともに、県内の学校現場から新たな学びを求めて入学する現職教員院生がいる。多くは就任後10年が経過した先生方が多く、現場での経験は豊富である。この点においては、担当講義内での対話から僕の方が現場のあり方を学ぶことも少なくない。ただし僕自身には一つの思いがあって、自らも現職教員として修士・博士後期課程で学んだ経験から「学問」を学ぶ場では院生を「先生」と呼ばないようにしている。学びの場では担当者を含めてお互いの学び合いが必要であり、「先生」という呼称はやや「上から教え込む」という趣旨が伴う言葉であるからだ。僕自身が修士在学時に研究室のある人に「研究発表が上から教えてやろうという構えだ」と指摘されたことに起因する信条である。学びに来た場では、あくまで「・・さん」である。

さて「国文学・近現代文学」を主とする大学院講義(複数担当で7回担当)が、この日は最終回を迎えた。牧水・啄木と近代短歌に新たな光をもたらせた同年の歌人の歌から、「我」とは何か?「時間」とは何か?などを考えて来た。また俵万智さんのわかりやすい表現の奥に読める深さとは何か?についても対話を深めた。最終回はいよいよ、受講者の創作短歌による歌会である。教員免許状更新講習でもよく受講者の要望にあるのだが、「児童生徒の短歌を指導したいが、どうしたらよいか?」というものだ。答えは一つ、「あなたが短歌を創ることです」と答えている。少なくとも授業で児童生徒に短歌表現を求めるならば、自らの創作体験なくしては話にならないだろう。何より表現を求める児童生徒らに後ろめたいはずだ。なぜか短歌を創作することが「難しいこと」と思われがちだが、理屈ではなく「やってみる」ことしか学びの道はない。こうした意味では俵万智さんの歌を読み味わった後ならでは、受講者が「学校」「新型コロナ時代」という二つのテーマ詠を楽しんでもらう時間となった。

この経験を「学校」に帰って子どもたちへ
教職大学院は実践的学びが肝要であろう
歌を批評しあった体験も実に貴重であるはずだ。


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