本質が暴かれるコロナ禍
2021-01-11
負荷がかかった時にいかに行動するかこの非常事態を利用して本質が顔を覗かせる
メッセージ性と国民第一の国々を見れば
コロナ禍の社会的議論で「命か経済か」というのが二項対立として蔓延ること自体を、問題視すべきである。もとより「どちらか?」と天秤に掛けられるものではない。「命」は地球よりも重く、その「地球」も「命」の一つであるように思う。2000年代になってから政治に関わる者が、よくこの二項対立の手法を使用し始めた。「郵政民営化に賛成か反対か?」は、多くの人の記憶にあることだろう。対立項を作り誰しもが「わかりやすい」構図を投げかける。「賛成か反対か?」と問うということは、「反対」側を排斥しようとする行為に他ならない。だが本当に道は、二本しか用意されていないのだろうか?真ん中もあれば180度反転もあり、上も下も360度多面体のように採るべき道は多様であるはずだ。
この2000年代を育ってきた昨今の学生に接していて、文学の読みにおいても前述の二項対立のみで考える傾向が強いことを危うく思っている。教育制度は「正解」を求めるような思考に陥る入試制度を整えており、「入試」こそが「生きる道」と勘違いさせるような学校運営をもたらす社会となっている。その一方で、持続可能な自由で多様な社会を求めるべきという声も少なくない。昨日、報道系の番組を観ていて痛感したのが、ニュージランド・台湾・シンガポールなど、新型コロナ禍を実にうまく乗り越えてきた国々があることだ。それぞれ決して大きな国ではないが、それだけに繊細な知見と判断力とメッセージ性に長けた政策で、国民を混乱から回避させている。早期に決断し効果的な対策を集中的に採っており、実行したら「なぜこの政策を採るのか」というメッセージを毎日のように為政者が国民に知的な言葉で説明し尽くすのだ。そして何より「個々の命を大切にすることそのものが最大の経済対策」であるとしている。きっとこの国でもこんな対策が過去にはできた筈ではないか、などと考えながら。
「わかりやすさ」に潜む落とし穴
無意識に他者を排除している構図
コロナ禍を利用しようとする悪辣な者、だがその本質をコロナが暴く矛盾。
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