痛いほどわかる免許返納の思い
2021-01-06
父が自動車運転免許証返納へ理由「家族のすすめ」
67年間「運転歴証明書」でせめて写真撮影を
僕が幼少の頃から深く感じていたが、自動車へのこだわりが強い父である。僕の記憶の中で最初の自家用車が白の「ブルーバード」、箱型のスタイルに三角窓が開閉できたのをよく覚えている。小学校の頃には「ケンメリのスカイラインGT」が我が家にやって来た。新潟の親戚の家まで、当時は下道を6時間以上かけて疾走したのをよく覚えている。ちょうど牧水も旅をしたと云う「月夜町」あたりで日の出を迎え(夏季)、三国峠をGTのミッションも好調に登って行った。その後は白の「ダットラ」を経て、どんなにモデルチェンジをしても「グロリア」にこだわり続け、数年前まで「フーガ」を所有していた。僕が依頼を受けてWeb買取に出すと、それなりの額で下取りされたのがせめてもの餞であった。僕の知っている父の運転歴に加えて、さらに10年ほどの青春時代があることも昨日聞いた。「16歳で運転免許を取って『メグロ』(カワサキ製二輪)に乗っていた。」と聞かされた。ちょうどこの日に父の誕生祝いで訪れたホテルのロビーに「ハーレーダビッドソン」の二輪が鎮座しており、「自然に当時は二種免許となり大型も取った。」とも記憶が紐解かれた。
そんな父が、この数年はハンドルを握ることはなかった。必要性がないといっても「免許返納」をするのは、自分の人生の一部を警察に返すようで複雑な思いがあるだろう慮った。現に宮崎に移住したのちに、「僕がなかなか住所変更に連れていかない」と云う不満を漏らしていたと母に聞いたことがある。もちろんそれでも僕の自家用車を運転させる気にはなれなかった。「思い」は健在でも身体感覚や視覚・聴覚の明らかな衰え、動作の緩慢さは加齢とともにやむを得ない事実。正直なところ「自転車」でも不安が大きい。母も説得をし尽くして、この日は免許センターに妻も含めて家族4人で出向いた。係官の方も「67年間お疲れ様です」と深々と言ってくれたのがありがたく、父も納得して「免許はもう戻らない」という宣誓書に自らサインした。しかし、今後も身分証明に使用できる「運転経歴証明書」が免許と同じ仕様で発行された。免許更新さながらに写真撮影をして、免許を渡されるように発行されたものを父は大事にカードケースに仕舞い込んだ。
高齢になるとはこういうことである
当たり前に仕事で商用車を運転していた父の姿
これからは僕の運転で多くの感激が得られる場所に連れて行きたい。
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