手が細菌を運ぶーあらためて基本的生活習慣を
2021-01-05
医師である学長の年頭挨拶北里柴三郎の結核への見解
歴史に学び生活習慣を見直す
年末年始でかき消されてしまわないように心に言い聞かせたいのは、全国の新型コロナ感染状況が危機的であることだ。一都三県では「感染爆発」寸前の兆候が濃厚であるにも関わらず、都と国との責任の擦り合いで時間がなお浪費されている。外出自粛が叫ばれながらも、年末の繁華街や年始の初詣や駅伝沿道応援など「例年よりは少ない」という気休めでしか語れない状況の今後が怖い。昨年3月4月の危機感かそれ以上のものが必要と思うが、世間全体がこの情勢を甘く見ていると言わざるを得ない。ともすると「経済が」というのだが、「感染爆発」に陥ってしまっては、余計に「経済も」回らなくなるのは必定。子どもでも「二兎追うものは・・・」という諺を知っている。都市部のみならず宮崎県でも日々に過去最多の感染者数が報じられている。細菌はもう其処にあるのだ。
大学の仕事始式がオンラインを介して行われ、学長の年頭の挨拶があった。医師である学長は「北里柴三郎の結核は怖くもあり、怖くもなし。」という語を引用し「多人数の手に触れるものは危うい」ことをあらためて強調した。また宮崎の高鍋に由来する上杉鷹山の疫病対策が、江戸時代ながら秀逸であったことを紹介した。歴史は人類が細菌とどう付き合って来たかを繊細に語っているのである。細菌に「打ち勝つ」とか「負けない」という表現が巷間ではよく為されるが、「細菌と付き合う」が適切なのだろう。細菌とて動植物ではないが「生」あるもの、自らの恒常性のために変異を繰り返し自らが生き延びる術を探っているのだろう。自分こそは高等(動物)であるという傲りが、細菌を甘く見る要因になってやしないか。あらためて人類の「生活」と「感覚」への意識が問われている。
石鹸による20秒以上の手洗い
顔へ手を運ばないという習慣
マスクや三密回避はもちろんである。
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