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ニュートラルでこそ見えるもの

2020-12-11
「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」
(若山牧水・高校のあらゆる教科書に採録される国民的短歌)
どんな色にも染まらず漂う白い鳥

初任で高校に勤務した時から、つまり組織で働いて給与を得るようになった時から、突き詰めれば「ニュートラル」な姿勢を持ちたいと思って来た。それは多分、周囲を見回すとどこかに偏った人々の姿が見えたからであろう。「ニュートラル」を『日本国語大辞典第二版』で引いてみると、「1、争っているいずれの側にもつかないこと。また、そのさま。中立。2、機械の動力伝達装置が動力と切り離され、ギヤがかみ合っていない状態。3、無彩色や彩度・明度のひくい、あいまいな色。灰色、白、黒、ベージュなど。」とある。既にオートマチック車が大半を占める時代だが、マニュアルミッション車では「ニュートラル」が大変に重要である。

冒頭の牧水の歌はあまりにも有名だが、「学校」ではなかなか「ニュートラル」になれない「自分が哀しい」などと学習することは少ない。恋とはある意味で、一人の人物に「偏る」ことかもしれない。「恋は盲目」とも云うが、恋していればあらゆることを許せる「無段階変速ギア」を持つことになるだろうか。親兄弟などになれば、どうしてもある視線から向き合うことになってしまい、むしろ「ニュートラル」は難しいのかもしれない。友人の著述家が名言をメルマガで伝えてくるのだが、そこにルノワールの言葉があった。「人生には不愉快なことがらが多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない。」さすがだ、芸術とは「ニュートラル」でなくては成し得ないのだと気づかされる。

教員として偏りが許されるのは「学生」に対して
独りよがり思い込みのない自然な立ち位置を探る
短歌を創るにもまさに「ニュートラル」の視線が大切だ。


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