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歌に集う「運動体」ー第352回心の花宮崎歌会

2020-12-06
「ユーモア」の詠み方
単純化への匙加減
そのものを言わずそのことが伝わる

日本全国が感染拡大第3波に襲われている。状況からしてまた春先の対応に戻るのかなど懸念は多いが、感染対策を十分に施して年内最後の「心の花宮崎歌会」は開催された。三人掛けに1人が座り同じ方向を向く、限定1時間半、歌評は短く明解に、等々の配慮を十分に心掛けての開催である。事務局の対策を徹底する施しには、いつも頭が下がる思いである。出詠歌は43首、互選評の得票が多い歌から歌評をはじめ、ほとんど投票した歌にのみしか意見は言えない限定的な状態はやむを得ないところ。投票者の歌評ののちに、伊藤一彦先生と大口玲子さんの指摘が為されていく。

以下、いくつかを覚書としておきたい。「ユーモア」の歌の詠み方とはどうあるべきか?という問題提起が伊藤先生から為された。「川柳のようでは駄目」であり「どこか心の機微に触れる」表現が求められるということ。自省を込めて、やり過ぎの「ユーモア」は「心の機微」と遠くなってしまうようだ。また「単純化」の指摘もいくつかの歌に対して為された。作り込み過ぎるというか、表現が多重過ぎることで、伝えたいことがぼやけてしまうことが往往にしてある。新型コロナで新たな世相を素材とする歌も少なくないが、それが個々の心の機微といかに結びつくのか。「我」はいかにこの世界史に残る世相を生きているか。そんな気概と繊細な匙加減が必要なのだろう。

「短歌史を進める運動体である」
佐佐木幸綱先生の『心の花』(2001年12月号)
「選歌の現状」の紹介にも大きく心を動かされた。


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