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世界の人々が心高鳴る音楽を

2020-11-26
「日本古来の伝統を取り入れたり
 復興を高らかに叫ぶのではなく
 普遍的な世界の人々が心高鳴る音楽にしたかった」
(NHK連続テレビ小説「エール」裕一の台詞より)

コロナ禍で途中の撮影が中断し、本来は9月中に終幕のはずであったNHK連続テレビ小説「エール」が大詰めを迎えている。たぶんラストは1964年(昭和39年)の「オリンピックマーチ」(東京五輪入場行進曲)であろうと予想はしていた。当時を生ライブで観ていない僕らでも、映像などを通じて誰もが心の中に響くその音楽。モデルとなった古関裕而さんは開会式当日に、スタジアムに招待されていながらなかなか観客席で自らの作曲したマーチが流れるのを聞くのを恐れ、トイレに籠もったという逸話さえありドラマでもその様子が描かれていた。謙遜な行動はさておき、戦中には戦意高揚させる作曲に携わったことで戦後に曲を書くことに極限の苦悩をした作曲家が、世界平和のために書いた渾身の一曲であったわけである。

ドラマ内では「闘魂こめて」(ジャイアンツ球団歌)を作曲した譜面を見ながら裕一が歌う場面もあり、僕自身も「紺碧の空」「栄冠は君に輝く」とともに人生に刻まれた古関の楽曲があることが再確認された。昭和が築いたONを中心とする野球文化、そして甲子園への熱い想い、それとこれらの曲は誠によく適合して僕自身の野球熱を高めてきてくれた。誰しもが聞いて心高鳴る曲、それは日本人という枠に止まらず世界の人々を意図されていたことが冒頭の裕一の台詞によって描かれた。1964年(昭和39年)東京五輪は戦後19年目という時間的距離感の中で、戦地で犠牲になった世界の人々への鎮魂と広島・長崎への核兵器使用への警鐘など、世界的な視野での平和の祭典であったと考えたい。などと思うと「TOKYO2020」はどうなのだろう?「日本」が開催する利権的な強調や復興宣言という内向きの発信ばかりが喧伝されているようで、冒頭に記した裕一の信念とは反転したようなテーマを感じざるを得ない。果たして既に延期となっているこの大会を、コロナ禍に苦しむ世界がどう受け止めていくのだろうか。

傷と苦悩の中から世界平和を願うこと
現況はあらゆる面で何かを踏み違えてはいないか
降るコロナ昭和は遠くなりにけり


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