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与謝野晶子の「髪」と「われ」

2020-10-23
「髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ」
(与謝野晶子『みだれ髪』収載歌)
「和歌」から「短歌」へ 浪漫的に

ゼミ生が卒論で「髪」に関する和歌短歌を扱っており、与謝野晶子の「髪」が詠まれた短歌についてのゼミ発表があった。興味深い内容であり指導の関係であらためて『みだれ髪』を読み通してみた。晶子の歌は人口に膾炙したものも多く、個別に読んでいる場合が多いことにあらためて気づかされる。だが歌集として、399首の配列や題をモチーフとしたテーマ性などを考えることも重要である。冒頭に記した歌も大変に有名であるが、「少女ごころ」を表象しているところは奥深く読んでみたい。歌に詠まれる「君」の存在、与謝野鉄幹との関係を前提として読みがちであるが、歌集収載前の初出なども考えて浪漫的な詠風の成り立ちを考えたい。

また明治30年代の情勢を考えると、「和歌」から「短歌」へと革新が名実ともに進められた時代。「公的主体・儀礼的(和歌)」なものから、明治近代色を帯びた「個的主体・日常的」な発想に意識が転換した時代である。こうした転換は瞬時に起きるものではなく、晶子の中での変遷も考慮すべきであろう。このような意味で、古典和歌の持つ没個我的な象徴性を踏まえた上で晶子の「われ」を読むべきと思う。さらにいえば、「君」と「われ」との対象性を見出しつつも古典にみられる一元的な「神」の存在も意識されている。平安朝和歌に詠まれる「黒髪」という素材、恋の情念を表象し自由を束縛される要素もあるからこその「みだれ髪」なのかと思う。卒論のさらなる進展が楽しみである。

「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」
「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」
こうして明治に始まった近代短歌の延長に我々はいるのである。


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