自分の眼で現実をみること
2020-10-22
「実相に観入して自然・自己一元の生を写す。」(斎藤茂吉『短歌写生の説』)
「他人の借り物ではなしに・・・」
いまさら言うまでもないが、冒頭に掲げたのは茂吉の『短歌写生の説』である。根本的なところに据えておくべき考え方であるが、ともすると忘れがちになってしまうので反芻すべき機会も必要と考えてみた。特に思索的な研究者である身にとっては、執拗に反芻する必要性を覚える。「実相」ではなく「観念」ばかりが先行し、「理屈」にまみれた「・・・とは?」といった落とし穴に嵌りがちであるからだ。「物事を正確に直接に見るということである。」や冒頭の「借り物ではなしに・・・」は佐藤佐太郎の言葉であるが、この「正確に直接に・・・」がなかなか容易ではないものである。
日常生活や仕事上の組織内でも、前述したような「見方」をするのは難しいと思うことがある。我々は多くの物事を、「他人の借り物」で見がちなのではないか?仕事上の場合は、あまりに「実相に観入」するとなると、心が伸び切ってしまうため防衛本能が働いているのかもしれない。正岡子規に拠れば「取捨選択」が必要で「面白い処を取りて、つまらぬ処を捨つる事」の大切さが説かれているが、これも簡単なことではない。仕事ともなれば「面白い処に気づかず、つまらぬ処に目くじらを立てる」ことになりかねない。短歌に向き合う頭と仕事に向き合う頭は、明らかに違う。先日、妻から「(自動車を)運転しながら歌を考えれば」と言われたが、それはあり得ないことだと実感した。どうやら本日に記したことが、作用しているのではないか。歌人の方々が、あまり自動車運転をしない傾向にあることも薄々感じていたことだが。
「大を取りて小を捨て、長を取りて短を捨つる事にあらず」(子規)
世間には数多くの歪んだ眼も存在している
ただただ人間を見つめること。
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