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遊びは学びー操る感覚から

2020-10-21
「遊学」にこそ様々な真理が
余計なことと思える技術に生きるコツも見える
旋回と手前から速度を落とすためには

実家が上野公園まで近かったせいもあって、中高生の頃からよく不忍池に行くことが多かった。その思い出は早朝のランニングを始め、博物館・美術館などを観て歩くこと、そして池のボートに乗ることである。最初は父の漕ぐのを見よう見まねで行なっていたが、次第に理屈ではなく身体感覚が身についた技術となった。決して広くはない不忍池で、他者のボートとぶつからないように漕ぐのは一定の技術が求められる。舟の旋回の仕方や逆走、船着場への着岸方法までいつしか絶妙に操れるようになっていた。もちろんそれが何の「役に立つ」など、まったく考えたこともない。だが小さな舟でも操る技術といいものに、様々な真理があるようにも思う。

まったく前回がいつだか記憶にないが、妻とボートに乗った。身に着いた技術というものは面白いもので、オールを握るとすぐに蘇ってくる。他の舟が多く浮いている水面を縦横無尽に操るのは、爽快な気分である。周囲を見回すと他の舟と接触してしまっている者や、川岸に落ちる小さな滝の水を浴びてしまっている者も見られた。思い通りの位置に着けて停泊しながら楽しむ景色が心地よい。腕というよりも足を踏み込む力を利用して、舟は滑らかに進む。漕ぎ手は舟の行く手が見えない、ゆえに妻が方向性の情報を伝えてくれることが重要だ。行く手に他の舟がいる、川岸の岩があるなど「羅針盤」の役割をしてくれる。問題は妻の伝えてくれる情報を聞いて、回避できる操縦力である。最後に船着き場につける際の右旋回も見事に決まり、爽快な気分のボート遊びに興じた。

人生は二人で歩むもの
妻が伝えてくれることに微細に応じること
「遊ぶ」ことから多くを学びリフレッシュ。


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