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一人ひとりに話し掛けているのです

2020-10-01
授業・朝礼・部活での語り掛け
何十人・何百人いたとしても一人ひとりへの意識で
教育に携わる者の基礎基本として

幼少の頃からの学校経験の中で、全校朝礼などでの校長の話に心を動かされたことは残念ながら一度もなかった。それは、自らが教員となって勤務する中学校・高等学校でも同じであった。しかし大学入学以降は、多様な人々の弁舌を聴く機会が増えたことで、明らかに人の心を動かす講話があるものだと目覚めさせられた。なぜ「校長」の話は児童・生徒に浸透しないのだろうか?などとスピーチ論の面から考えるようになった。大概の場合、個々の児童・生徒の一人ひとりに話し掛けるという意識に欠けるものであるから、という結論にやがて至った。「人に伝える」ということは、話し手が上手く話すことでも、双方向のやり取りがあることでもない。「聴き手の内部に意味を生成することができるか」が肝要なのである。

前述のようなことを考えていたもので、自らの教員生活の中では、例えば修学旅行の引率者代表担当になった際など、300名ほどに注意事項を伝える際にこれを強く意識した。一人ひとりが「当事者」としての意識が持てるように内容を仕立てる。できる範囲で可能な限りの生徒ら個々の眼を見つめることを繰り返し話す。著名ミュージシャンのライブで「眼が合った気がした」という経験はよく聞く話だが、その効果は誠に大きい。さらには生徒集団の中で起きている具体的な例を挙げる、これは好例の場合も危うい例の場合もあるが、非常に当事者意識を掻き立てる。いわばラジオ・テレビ番組で投稿が採用されたような感慨に訴え掛けることになる。この日は、市内の県立高校への出前講義、60名程度を2クラス同内容で模擬講義を展開した。初めて飛び込みで出逢う生徒らにも、前述の姿勢は有効に機能する。その喋りそのものが、本日の小欄に記したように僕自身の教育論でもある。さてどの程度の生徒らの心の中に、「当事者」としての「意味を生成」できたであろうか。

学部役職任期もこの日で終わり
この365日、一人ひとりの学生らに向き合う意識で歩んだ
そして新しい意味を生成するべく10月が始まった。


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