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国会では許されても此処では許さない

2020-09-29
「半沢直樹」最終回
暗躍する政治家を最も優秀なバンカーが滅多斬り
証拠たる情報も大切だが人間の「誠実」こそが未来を開く

一昨日「半沢直樹」最終回が放映された。前作ほどではないが視聴率30%超というWeb全盛時代の昨今のドラマとしては驚異的な数字であったようだ。特にSNSなどでの反響を読んでみたわけではないが、僕自身も胸が熱くなるシーンがいくつかあった。直樹の愛する妻「花ちゃん」が、白井国交相に花言葉「誠実」の桔梗を渡すシーンにはついつい感涙してしまった。瀬戸際の夫・直樹を、「花」一輪で支える妻の素朴で実直な姿勢に感じ入ったのだ。夫婦の愛情はまさに「誠実」や「実直」が求められるであろう。今回のシリーズに妻である「花ちゃん」が登場するシーンは少なかったが、要所での「最強一アシスト」が直樹の窮地を救い、社会の「誠実」と「正義」を貫かせたのである。

それにしても視聴率がこれほどの高さであれば、「半沢直樹」の視聴者は実際の政治にももっと関心を寄せて欲しいなどと考えるのは現実的ではないのだろうか。不正融資を隠し口座に保有する金権政治の象徴のようなドラマの蓑部幹事長、半沢の追及に「記憶にございません」と返答する。それを半沢は「そんな答弁は国会で許されても此処(国民を前にした会見)では許されない」と言い放ったのは痛快であった。「銀行は顧客一人ひとりの幸せを支えるものだ」といった趣旨の半沢の信念とともに、現在の世の中から欠如してしまっている「正義」である。昭和では「不正」が社会的に暴かれ総理であっても逮捕された時代であった。その際に流行語にもなった「記憶にございません」、いつからそれが国会で横行する社会になったのか。勧善懲悪世直し劇の現代版「半沢直樹」を痛快と思うのであれば、現実の社会では我々一人ひとりが「関心」を深め「行動」することで、「此処では許さない」社会を築くべきではないのか。

僕ら一人ひとりの中に住む「半沢直樹」
銀行や社会の信頼やいかに
「花ちゃん」のような潤いある家庭が溢れることを幸せな国というのだろう。


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