歩むこと声を出すこと再考
2020-09-20
二足歩行の原始の時代から好きな人に声をかけるその心もて
人間の根源的な身体性を失わぬように
「暑さ寒さも彼岸まで」すっかり秋めいて涼しい気候になってきた。月別の平均歩数をスマートウォッチが計測しスマホに表示してくれているが、5月が最低の数字を記録している。コロナ禍での自粛に加えて遠隔講義の開始と、外出や歩き回る授業をしなくなったせいである。「人との接触を避ける」という標語が浸透し、ともかく必要以上に外出することが憚られたのであろう。自宅周辺をウォーキングすることなどもせず、スポーツジムにも行けなくなった。遠隔授業の制作に無我夢中になっていたこともあるが、仕事上でも研究室からトイレ以外は一歩も出ない日々が続いた。すると必然的に「人と接しない」ことになる。されば「声を出さない」で過ごす1日となるが、生声で話せるのはせめて妻のみという状況であった。
歩くこと、声を出すこと、この二つが人間にとってとても大切だということをあらためて実感する。歩かないと単に足が弱るのみならず脳内が活き活きと動かなくなり、精神も卑屈になりストレスが抜け出ない。声を出すこともまた同じで、脳内で「思う」だけではダメで「声にする」脳内作用をするかしないかで精神の安定は大幅に違う。繰り返しての話題であるが、歌人の若山牧水は作歌スランプになると散歩するとか『万葉集』を音読するなど、歩み声を出して解消していたようだ。古来から歌人・俳人・詩人らはよく歩きよく吟ずるものだ。創作をするには脳内のみではなく、こうした身体性が必然的に伴うものだ。となれば「国語」の授業内で創作活動などを行う場合も、「歩む・声を出す」に配慮する必要があるのではないだろうか。新型コロナが多くのものを奪う世情にあって、この二つの身体性を僕らは根源的な人間性として確保しなければならない。
近所の知人は子どもを抱いて散歩を
適度な揺れが子どもを安らかな眠りに導く
路上での世間話で声を出すこともまたよし。
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