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謎に立ち向かう学びこそあれ

2020-09-18
「わかりやすい」ということ
創作的活動に対して実用的文章
絵本の突拍子もない展開のような謎めいたものを味わうこと

20代教員になって初任3年目を終えた頃に、同僚で同期の友人と欧州を10日間ほど旅したことがある。当時は現在のように格安航空券などもなかったが、旧ソ連国営「アエロフロート」は格段に安く、薄給の僕らの往路はモスクワ経由チューリッヒ行き、復路はパリ発モスクワ経由で、共産圏の空港やトランジットホテルを経験した。空港からトランジットまでの移動バスに自動小銃を持った兵隊が入ってきて、僕らのパスポートを取り上げ、まるで「強制送還」されるような特異で謎めいた経験であった。今にして思えば、それは僕の貴重で歴史的な「旧ソ連」体験になった。その後の旅先でも、僕は偶発的なものに出逢いたい好奇心ばかりで、計画していた観光地を予定通りに周り切ろうとする同僚と明らかに考え方が違うことを自覚した。出逢った外国人と自由奔放な話をして、危ういかもしれないが彼らと観光地で時間を共にすることが冒険的で謎めいた行動であって、たまらなく刺激を受けたのであった。

この同僚はたぶん、「実用文」を適切に使用できるようになりたい感性だったのだろう。しかし、僕は旅に「物語(文学)」を求めていたことになる。その展開の中には、予期しない事件(ハプニング)による発見とスリルと高揚感がある。予定調和ではなく先が読めず、絵葉書のような風景と出逢うよりも場末のレストランで感性の違う人々と世間話などに興じたかった。僕がそれまでに読んだ短歌も詩も絵本も物語も小説も、そんな偶発性や不透明性のある展開であったからだ。最近は殊に思うのだが、「国語」教材や授業方法が「実用的」になる傾向が強い。「わかりやすい」文章を「論理的に」理解し、自らも「わかりやすい」文章を書くのだと云う。いわば「文学教材」でも「説明」できることが重要、なのだと云われる。つまり旅でいうならば、ツアーのように予定調和的で絵葉書のような風景を観て、海外でも日本人だけで固まって旅程をバスで歩むような「安全な」学習を求める傾向がある。もちろん、こうした学習も否定はしない。だが「人生」という旅を歩むためには、謎めいた見知らぬ物と出逢っておく経験をしておかなくてよいのかと思うのである。それを叶えるのは、「文学」に他ならない。先の初任校の同僚に比べると、僕は自由奔放な旅のような人生を歩み、いま宮崎にいる。初任校に予定調和で長年の勤続表彰でも受けながらやり過ごす「規定ツアー」のような水槽の中には、どうしても居られなかったのである。

「わかりにくい」ことも学ぶのが学校では
いつでもどこでも便利に、「コンビニ」のような学校でいいのか?
大人になっても絵本のようなワクワクする体験がいつまでもしたいと思う。


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