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なぜ温暖化対策が語られないのか?

2020-09-09
「総裁選」「代表選」などで政策提案
「温暖化対策」を掲げる候補は?
今や「国民の命と安全」のためには・・・

メディアはこぞって「総裁選」そして「代表選」についての報道に躍起である。しかも少なくとも公正な「選挙」であるはずだが、既に結果を見越したような論調の報道が殆どである。国政選挙での投票率が大きな問題となっているが、そこに至る以前の政局の過程で既に「選挙にもならない選挙」が横行している「田舎芝居」を見せられては国民の関心が高まるはずもない。ましてや「総裁になる確度が高まった人物」の「叩き上げ的経歴」が喧伝されると、支持率が上がってしまうというから「民度」の極端な低さも露呈してしまっている。小学校で教わった「国民主権」という理念、国民一人ひとりが政治を選択できるという構造は明らかに形骸化している。その「衰退」にメディアも加担してしまい、疑問を投げかける候補には何を恐れてか冷ややかで、まったく「権力の監視」にはならないほどに堕落してしまっている。

宮崎県内では椎葉村で大規模な山体崩壊とも思える土砂崩れで、4名の人々が未だ行方不明である。派遣されていた大阪県警機動隊の隊員らも派遣され、大規模な捜索が続行中である。それにしても、政府はこれにどう向き合っているのだろう?今回の台風10号において、九州在住であれば大きな生活上の脅威を覚えた人々が多いのではないだろうか。今年だけでも7月の九州豪雨で熊本県、昨年は長野県、一昨年は岡山県、ここ数年で水害にあった国民の方々は数知れない。もし政治の役割が「国民の命と財産を護る」ことにあるとするならば、「次期総理」になる人物は筆頭にこの対策に言及してもよいようにさえ思う。もはや、世界的規模で軍事に加担している時間などない。「ミサイル防衛」などと寝言を言っている間に、地球温暖化の脅威が僕らの生活を脅かすのである。少なくとも、自然と共存する文化を持つ列島からは、この脅威から国民を護ろうとする為政者が現れるべきではないのだろうか。

今も地球は暑い暑いと悲鳴をあげている
生命体が存在できる条件を人間自身が壊してきてしまった
「人類的世界観」のある指導者は世界を見渡しても少ないのだが。


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