自由に発想が湧く分野
2020-09-02
「やらされた」ものではなく大きな世界観の中で自由に語りたい
個が生きる学びや仕事への取り組み方
大きな変革のうねりは来ているものの、未だ「学校」では知識を教え込もうとする学習姿勢が大勢を占める。大きな「世界観」の中で自由に活用できる意欲を持ち、自ら知識を狩りに行く学びとは大きくかけ離れている。強制的に教え込まれ詰め込まれた知識はその場凌ぎにしかならず、用が済めば記憶から次々と脱落して行く。学校で暗唱テストなどを施した際に、日本文でも英文でもその「テスト」のためだけに覚え込み、ほんの数日間だけ記憶に無理矢理に刻んだ暗唱文は哀れだ。母親を始め周囲の人々と生きるために母語を獲得するという、人間としての学びの本性があるはずなのだが。絵本などを通じて言葉遊びから自由に発想した「世界観」は豊かな学びの脳を創るが、早期教育だといって強制的に「覚え込ませる」のではむしろ弊害の方が多いはずだ。
この年齢になって仕事をしていてもそうなのだが、自分が自由に発想が湧く創造的な仕事がしたいと常に願い、またそのように意図している。創造的な「世界観」へ向いた仕事は意図せずに、泉から水が湧き出すように発想が出て来るものだ。月並みに「適材適所」と世間ではいうが、そのような分野の仕事に携わりたいと思う。幼少の頃から本が好きだった僕は、図書館にいる時間が何にも代え難く幸せであった。それは大学時代も教員になってからも同じである。中高教員時代は部活指導なども忙しく、残念ながら図書館でじっくり物事を考える時間に恵まれなかった。現職教員と大学院生の二足の草鞋を履くことで、大学図書館の院生のみに与えられた延長利用で夜11時まで図書館に籠ることもしばしばであった。このような意味で現在は大学附属図書館副館長をやらせていただいているのは天職ともいえるのかもしれない。まさに新たな「世界観」で「新しい大学図書館」を創るのことに貢献したい。
研究分野はまさしく自らの「世界観」を
何をするために生まれて来たのか?
自分でも見えない泉の中から湧き出る水源が貴重だ。
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