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無鉄砲・我武者羅・むこうみず

2020-08-28
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」
(夏目漱石『坊っちゃん』冒頭より)
「理非や前後をよく考えないで事を行なうこと。」(『日本国語大辞典第二版』)

初めて漱石の『坊っちゃん』を読んだ小学生の時、同級生に「弱虫やーい」と囃し立てられ小学校校舎の二階から飛び降りたという書き出しに妙に惹かれた記憶がある。家に帰ると「おやじ」が「二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるか」と言われると「この次は抜かさずぬ飛んで見せます」と切り返す。その後の「西洋製のナイフ自慢」の顛末などは想像するに痛みに耐え難い場面であった。人はどこかで「無鉄砲」だとか「我武者羅」だとかいう性格に憧れを抱くのかもしれない。青春学園ドラマの主人公教師が、どこかで『坊っちゃん』をモチーフにしているのも十分に頷ける。規則を遵守させる立場の「教師」が「むこうみず」だという、ある種の矛盾みたいなものがたまらなく恋しいのである。「学校」には、様々なキャラクターの多様な「人間」が「教師」として存在すべきと言えるのかもしれない。

大学時代は、敢えて「無鉄砲」になれるような行動をしていたように思う。自分自身の中の「性格」に対する、一つの「挑戦」のような精神作用である。その延長で20代の初任校での教員生活は、現実に「むこうみず」な先生方も多かったせいか、『坊っちゃん』まがいの楽しい時間であった。ある意味で大学時代の「挑戦」が、実を結んだと言えるのかもしれない。「我武者(羅)」という言葉は、最近では「無我夢中」と混同されがちであるように思うが、「血気にはやること。むこうみずで乱暴であること。むちゃくちゃに物事を行なう事。」(『日本国語大辞典第二版』)とある。新たに物事を開拓したり、人生の流れを大きく変える場合などは、こうした姿勢が必要とされる時があるのかもしれない。20代や学生時代でない今でも時折、「無鉄砲」こそが力になるのではないかと思うことがある。

冷静で判断力よく落ち着いている
荒波を越えていくための「我武者羅」な姿勢
さて「新しい時代」の『坊っちゃん』には何が求められているのだろうか?


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