雑談なき前期終了
2020-08-22
前期定期試験最終日遠隔講義と一部対面の融合でやり遂げる
だが考えてみれば、学生としていないのは「雑談」だった。
前期科目はほとんどがWeb上に提出するレポートでの評価としたが、「文学史」の講義に関しては「試験」が必要と考え「実施希望届」を出し、この日が実施曜日であった。入学以来わずかしか対面講義を経験していない1年生ということもあり、むしろ「試験」そのものも体験すべきではないかという思いもあった。暑い中であったが、やはり「試験を受ける構え」でやってくる学生らを見ていると〈教室〉とは、こうした場であることを自覚する。感染対応で学籍番号順に指定され、前後左右は空席となる。3回ほどの対面講義でも同様の座席であったため、数回ながら学生らの顔と座席位置で全ての学生の名前を覚えている。冷房で十分に室温を安定させておいて、窓や扉を開放して換気に配慮する。暑さ対策ということもあり、試験中に飲み物を認め、必要な者は空席となっている隣の座席に置くように指示した。
75分間という短縮された講義時間内で、学生らは存分に学びの成果を文章として書き付けている。その生身の姿をリアルに眼前で見るということに、担当者として大きな意義があると実感する。講義は担当者の一人舞台では決してあるべきではなく、受講する学生がどれほどの芝居を演じられるかを展開する場であろう。その「公演」の様子を目の当たりにする場が、教員であれば欲しくなるはずだ。こんなことを考えながら、一人ひとりが答案に書き込む様子を試験監督として眺めていた。試験終了のチャイムが鳴り答案回収、この瞬間の解放感は誰しもが経験があるだろう。その後、少々のコメント・注意を加えて解散。学生は自分が使用した机にアルコール消毒を施すことになっている。消毒液や拭き取りペーパーを取りに来る際、「社会的距離」には注意しながらなるべく声を掛けてあげたいという衝動に駆られる。何より大切で失われていた時間はここだったのだ。講義とは関係のない話題、学生らの生活ぶり等々、雑談をすることで学生らとの関係性は親密になってゆく。オンラインでは「講義終了」とともに画面上から忽ちに20名前後の学生らが消えてゆく。オンラインは講義の中でも「雑談」をしづらい雰囲気にあるのはなぜだろう?オンラインでは叶えられないこと、「雑」と名付けられたものこそ尊いのがこの世の常である。
声掛けがあって〈教室〉は生き生きと
余白のない文字面は詩にならない
「雑談」なき前期終了にあれこれと考えさせられている。
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