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二重写しの夏を生きるために

2020-08-08
「猫と女は、呼ぶと逃げ、呼ばないとすりよってくると言うが、
 運命もまた、こっちが冷たくしていると機嫌とりにやってきて、
 こっちがしつこく追いまわすと遠ざかってしまう。」
(寺山修司「さかさま世界史」より)

今朝は休日ゆえにややゆっくり寝て、起きて何気なくスマホを見ると「この暑さ(に信じがたいが)東京五輪の競歩が開催されていたはずだった」といった趣旨の見知らぬ人のSNS投稿を目にした。暦を確かめると「8月8日」、たぶん同じように夏の甲子園大会の開会式などが挙行されていたに違いない(正確に調べていませんが)。長年の心に沁みついた夏の風物詩「腹時計」は、例年の行事を記憶しており、それに加えて東京五輪2020の幻影が、この国の人々の脳裏にチラついている夏が進行している。夏の「行事」「祭り」はほとんどが中止となり、新型コロナウイルスと向き合う夏。今年の元旦には、誰がこのような「運命」を予想したであろうか。

冒頭に記した寺山修司の名言が卓越である。「猫と女」とあるのは「昭和」の時代を感じさせるが、現在なら「猫と思い人」として性差を問わず、「呼ぶと逃げ、呼ばないと・・・」と云うことであろう。『伊勢物語』を扱う講義などで「贈答歌」について考えることがあるが、「言い寄られたら(好きでも)まずは拒絶する」という返歌が「基本」というようなことの「なぜ?」を学生たちと議論することがある。この国は、執拗に「東京五輪」を追い回し過ぎたのであろうか。誘致決定過程の闇疑惑を含めて、五輪の「猫と神」はこの国から逃避してしまった。反対に「呼びたくもない」新型コロナは、じわじわと我々のそばに「すりよって」来ている。国の対応はこの上なくコロナに「冷たい」、ゆえに「機嫌とり」に来られてしまっている。よく「コロナとの戦い」という標語を見るが、どこか違うのではないかと思う。その存在を殲滅しようとする傲慢で我欲な発想が、むしろコロナを跳梁跋扈させるのではないか。感染拡大はこの「人間社会」が生み出すという運命、「コロナに向き合う」我々の社会の悪弊をコロナは変異しながら身に纏っているのではないだろうか。

「本来なら行われていた」という時の「本来」とは?
近現代の人間本位な世紀を僕たちは変えるべきときなのだ
「運命」とはいえ、人の「欲」に塗り固められていることを忘れるべきではない。


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