「かの夏」を思いて過ごす
2020-08-05
「かの夏に掃射逃れし少年のつないだ命われここにあり」(自選短歌)
今年も「かの夏」を想像して生きる
基礎教育科目「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」も大詰め14回目の講義を収録し配信をした。受講者から提出される多様な課題の質が回を追うごとに上昇し、毎回書かれている内容を読む時間が大学教員として至福の時間である。コロナ禍で講義開始が1ヶ月遅くなったこともあり、今年は「この8月」に講義の大詰めが来ているのも運命的な意味があるように思う。横浜のクルーズ船が問題視された2月、3月ごろから激しく新型コロナウイルスが炎上をしはじめ、北海道など一部で炎上度合いが増し、ある時期に「押さえ込んだ」という政府見解も哀れに、実情は都市部から再び地方に蔓延する感染拡大。日本地図が都市部から次第に「過去最高」を示す「赤色」が飛び火するように拡大している。
この感染拡大の地理的・時間的距離感は1945年(昭和20年)、まさに「かの夏」に載せてみると類同性が見出せやしないかと思っている。3月の東京大空襲、その後は宮崎にも空襲が波及し(3月18日に大空襲の記録がある)、6月までは沖縄で壮絶・凄惨を極めた地上戦が続き6月23日の組織的戦闘の終結に至る。無謀無策な戦いとわかっていても講じられる手立てもなく追い込まれていき、8月6日・9日の広島・長崎への原爆投下に至らしめる。「かの夏」を生きた人々も決して未来に希望を失ったわけではなかったろうが、「国」の凝り固まった体質が多くの人々を犠牲に至らしめた。僕らは75年が経過した今、3月から「先の見えない」時間を生きている。現実を直視し見直すべき政策を撤退する勇気・英断も為されず、「感染」という「空襲」が日本地図上を「赤色」に染め続けている。「かの夏」にもどれほど多くの愛し合う人たちが、悲惨な状況下で引き裂かれて行ったことだろう。75年前の現実から何も学べない「体質」が、今は僕たちの生命を何よりも脅かしている。この期に及び「ミサイル防衛議論」に躍起になっている人間たちの顔色は、黒ずんでいるばかりにしか見えない。
「過去」は「美しい物語」だけではない
「かの夏」を生きた恋人たちを短歌と「蛍」(サザンオールスターズ)に想像する
父が機銃掃射を被弾していたら、僕は今、存在していなかったことを噛み締め。
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