おもしろき発想を得るには
2020-07-18
異業種の人々のことば大学なら他学部の人との交流
しばらく酒の席もない世の中で
学部の日本文学担当講義で学生たちのレポートを読んでいると、もっとその発想が自由でおもしろくあれと思うことが多い。さらに言うならば「明るいか暗いか」「ポジティブかネガティブか」など二項対立に持ち込んで、解釈の方向性を決めてしまう傾向を大変に好ましくないと思う。たぶん「わかりやすさ」を求めた論点にしようとしている意図はわかるのだが、それでは文学(=人生)のおもしろみがわかりようがない。ここ2年間は基礎教育科目も担当するようになり、教育学部以外の学生のレポートや講義レビューを読むようになった。するとこの角度から考えるのか!と僕自身が教えられることも少なくない。長年「教師」をやってきた僕にとって、大切なのは異業種の人々のことばなのだとあらためて感じる一コマだ。
お客様あっての商売、買う側の立場となり社会の波を読み生活を賭けた判断を常にしている。僕自身も育った家が商売をしていたゆえ父母からは、親戚に多かった教師然とした態度では社会では生きていけないとよく説かれた。頑固で自由な発想がなく、規律的に塗り固められた態度からは豊かな人生にならないと実感していた。それでもなお「教師」になろうと志したのは、社会性がありおもしろい発想の人間として教育界に風穴を開けたいと思っていたからだ。その志は今にして貫けているのだろうか、と考え直すこともある。宮崎に来てから、異業種の親友夫妻ができた。ほぼ同世代で東京での生活経験もある彼らとは、同時代人としてこのような生き方もあったのか!と気づかされることが多い。立場は違えど東京のこんな店に行っていた、などと共通した経験があるとなおさら親近感が増す。コロナ禍の荒波をどう生きていくか?それも彼らと僕ら夫婦では大きく違う。前述の僕なりの「志」が貫徹されているかどうかは、この親友夫妻との会話によって定点観測することができる。せめて地元の親友夫妻とは、心置きなく酒の席が持てる日常でありたい。
異世界を旅するのが文学ならば
社会に開いた窓から外に出る機会も必要だ
決して人が籠らない社会を創っていくために「教師」はどうあるべきか?
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