実技科目「国語」の側面開拓
2020-07-14
「実技・実験・実習」系科目の対面実施対面でしか成し得ない「国語」の要素は何か?
生声・身体・〈教室〉の波動
多くの大学で同様の方針であろうが、「実技・実験・実習」科目においてはどうしても遠隔講義での実施が不可能とあって「一部対面」を行なっている。所謂「座学」に関しては遠隔講義が基本的に可能ということだが、その実施内容は暗中模索であるのが実情であろう。「国語」に関しては一般論としてすべてにおいて遠隔が可能なはずだが、敢えて「実技」の側面を探すならば「音読・朗読」などがあるのではないかと考えた。もちろん同時双方向オンラインシステムでも、「声」で読み上げることは可能である。実際に僕もWeb上の対談にて、「朗読」「表現読み」を実践している。だが演劇の舞台の多くがTV中継に向かないとの同じような理由で、「音読・朗読」はライブで実施しないと欠落する要素があるのではないかと考えている。
中高教員の経験から「国語」の授業において、俳優さんの「朗読CD」を使用することは、ほぼ効果が薄いのではないかと思う。教材の長さによっては特に高校などで「睡眠学習」になってしまい、下手をすると教員まで睡魔に襲われる。極端な想像をしてみればわかるが、CDなどの音源で楽曲を聴くのではなく桑田佳祐さんがその場に来てカラオケを歌ったらどんなに興奮するだろうか。現に桑田さんのラジオ番組で掛けられる楽曲のうち、「生歌」といって実際に桑田さんがギターで歌うことがあるが、ファンとして堪らない「生」な実感がある。TVやラジオでも「生中継」とは特別なもので、嘗ての巨星視聴率番組「8時だよ全員集合」は生放送だったという、今にして信じがたい「ライブ性」に支えられていた。もちろん歴史に刻まれた会場の「停電」などもあったが、懐中電灯を使用した志村けんさんの即興芸は今でも忘れられない。遠隔講義になって浮上したものとして「実技科目国語」の部分を洗い出す作業が、必要ではないのかと考えている。
〈教室〉は「生ライブ」の空間である
教師の声・児童生徒の声が交流する空間
「教室にもの読める聲のなつかしさ身にしみとほる山里すぎて」(若山牧水)
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