東京一極集中の罪
2020-07-11
「さすが徳川家康!台風の被害もなく暮らしやすい」
しかし江戸の町ならまだしもあまりに肥大化した都市で
生まれも育ちも東京下町の僕にとって、幼少の頃からTVで自然災害のニュースを観るたびに「なんと東京はありがたいことか」と思っていた節がある。父母もよくそんなことを口にして、「徳川家康はよくこの江戸に都を持って来たものだ!」などと家族で感心していたことが記憶にある。今にしてよくよく考えてみると、「下町」は東京の東に位置し「江戸」の範囲であった日本橋から浅草・上野を中心とするエリアで、僕ら家族はこの「江戸」の地域を「東京」だとする感覚だった気がする。徳川幕府が直轄地として治められる範囲、それが明治以降の近現代化の波の中で肥大化し続け省みられることもなく150年以上が経過した。もちろんその間に関東大震災や第二次世界大戦による壊滅的な被害があっても、上塗り上塗りを続け「東京」を「スリム化」しようなどとはならなかったことが、今や仇となり突きつけられているように思う。
東京の新型コロナ感染者の数が日に日に増え、過去最高を更新している。国も「緊急事態宣言発出に至る状況ではない」と言い、都もパフォーマンスまがいの都庁やレインボーブリッジを赤くライトアップすることもしようとはしない。「あの頃」とは「状況が違う」ということらしいが、「何がどう違うのか」はほとんど説明されていない。3月末に現状の東京並みの数値に至った際には、「今が瀬戸際」だと聞かされた。だが現在は入場者数を制限しつつイベントは解禁され、「旅行に行こう」などと喧伝するキャンペーンまで国が主導している。人を集め人を移動させ、経済を「力強く回す」ことが最優先であるかのようだ。もちろん経済の低迷は、多くの人々にとって苦難に直結する優先事項であるとは思う。だがしかし、僕にとって愛すべき故郷・東京で感染者が激増する実情を憂えないわけにはいかない。Twitter等で示される個人的に信頼している有識者の見解を見ると、東京は既に「市中感染」が起き「第二波」と呼んでもおかしくなく、「地方からの往来は避けるべき」とされている。僕が3.11以降に深く思索した東京一極集中の過誤が、今こんな形で首都を蝕んでいる。2003年SARSの東アジアでの流行、2009年新型インフルエンザのパンデミック経験、そして3.11震度5強の経験から、ほとんど何も学ばず何も改善せず2020に至っていることが露呈された。妹や親戚・親友たちが生きる東京、いま僕は宮崎に両親とともに住んでいることに深い幸せを感じつつ、愛すべき人々の顔を思い浮かべ東京の辿る道を憂えずにはいられない。
首都直下地震の兆候もありと
今頃は東京五輪間近であった一極集中都市
御三家による継承権の分散、戦国の世でも肥大した城は滅びやすかっただろう。
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