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雑談冴ゆる教室でありたし

2020-07-10
オンライン講義ではなぜ雑談が入れにくいのか?
聴いている学生たちが何を要求しているかで発する「気」
空間を共有するかどうかで何が違うのかを明らかにしていくべき

僕が学部生だった頃、発表のある演習以外はほとんどが講義形式であった。そこで楽しみにしていたのが、先生方の雑談である。現在は「こんなことは口にしてはいけない」とされる内容があまりにも多くなってしまったようだが、昭和50・60年代の大学はまだ自由がたくさんあった。和歌と近世文学の先生がお互いの酒飲み話をして、争っているかのような印象を与えつつ、双方の仲はとても良いなどという「演出」とも思えるような人間的な面白さまでもが平然と露出していた。僕は雑談が面白すぎて、よくノートの欄外に「雑談メモ」を書くことが習慣になっていた。後から読み返すとその雑談にこそ、文学研究に通じるような姿勢が示されていることも少なくなかった。「雑談の質が高い」というと矛盾する物言いだが、この点は大学教員に限らず人と話をする際に、重要な点であるように思う。

さて、オンライン講義が一般化して様々な問題点も指摘され始める今日この頃。一部で分散して対面講義と併用している僕の担当科目では、貴重な「対面」から何が得られているのかが興味深い。九州地方で続く大雨の中、むしろ学生は自宅でオンライン講義が受けられた方がありがたいのではないか?などという余計な詮索まで気遣う。またオンラインでは、あまり雑談を話せていなかったのに気づく。対面をするとやはり、教室で「聴く側」の立場や状態を様々な情報から察知しているようだ。オンラインでも「対面と同質の講義ができている」と言い放つ者がいるならば、それは講義そのものが一方的に話しを押し付けている傾向があるのではと思いたくなる。「聴く側」の要請を情報として受け取れないゆえ、オンラインでは雑談に入る契機が掴めない。しかし、受講する学生の課題などに呼応して話すと、自然と雑談的な内容に及ぶことができる。この「聴く側」の立場を尊重する姿勢こそが、雑談冴ゆる秘訣であることをこの機に知ることができたようである。

様々なイベントのオンライン化
移動の労無くして雑談の質を上げるよう努める
教室とオンラインが変わらぬ、というなら何かを犠牲にしていると悟るべきだろう。


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