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昇る太陽がくれるもの

2020-07-02
今また眼の前の窓に朝陽が見える
明けない夜はなく時間は途切れることを知らない
今日を生きた証は何であろうか・・・

七月となり暦の上では「半夏生(はんげしょう)」、「七十二候の一つ。夏至から一一日目で、今の七月二日頃にあたる。この日には毒気が降るといって一切の野菜を食べず、、また竹節虫を生じる時だといって竹の子を食べないなどの俗習がある。はんげ。」(『日本国語大辞典第二版』)と辞書にある。いずれにしても「昼」が一番長い日々であることを実感するように、今この小欄を書いている向かいの窓から眩し過ぎる朝陽が眼に焼きつくほどで、ブラインドを降ろしたところである。ジリジリと昇る太陽は、人間が作った時計の「針」や表示される「数字」など足元にも及ばないほど律儀に絶えることなく時を刻む。もしかするとこの天体の引力と熱量が、「時」を生み出しているのだろう。

太陽のめぐみがくれた時間を、人は生きている。明るい明日に起き上がり、また何かをこの地球上に刻む。梅雨の大雨に打たれても、そして新型コロナ禍を憂いながらでも歩み続ける。「生」の字を「ある」と読む用例が『古事記』『万葉集』にあるが、元来は「神聖なものが出現する。転じて生まれる。」と前掲辞書にある。夜には太陽が沈み深い闇がやって来る、しかしまた命が再生するように「生るる」今朝が来る。この天体次元での「自然」を人間は破壊しつつある。プラスチックの安易で過剰な利用がこの地球を穢し、温暖化で溶けてしまった凍土から閉じ込められたウイルスが再び天体上に出現するのだと聞く。「今日」の歩みの中で自然たる地球を大切に生きたか?当たり前になったポリ袋利用を意識して「異常」だったと「あらためる」、「生るる」はもちろん「あらた」に通ずる。

夏の陽射しを浴びながら
今日を生きた証を探す
小欄のように足掻き続けるしかできないにしても。


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