悲しみを大声で歌おう!
2020-06-29
「ロックとは悲しみを大声で歌うものさ!」(桑田佳祐さん・ラジオ番組「やさしい夜遊び」の弁より)
こうした時だからこそ音楽がある!
「聞き逃し配信」というのがWebにはあって、リアルタイムの配信時間に視聴できなくとも、また何回でも視聴できる仕組みである。先日のサザン無観客特別ライブも日曜日の23時59分までは視聴可能であったが、時間的な余裕がないこととともに、やはり1度の視聴に賭けるという意志も重んじたくなる。だがラジオ番組は別で、土曜の夜放送の「桑田佳祐のやさしい夜遊び」を休日出勤の妻が帰るまで夕食を作りながら再度聴いた。また食後には妻がもう一度聴きたいというので再び配信しつつ、僕は風呂に入った。そのDJの中で桑田佳祐さんが先週のライブを振り返りつつ語っていたのが冒頭に記した言葉である。コロナ禍の逆境を逆手にとって音楽を多くの人に伝えていく。どれほどの人が再び勇気と希望を持ったことか。人生に「悲しみ」はつきものである、ゆえに和歌短歌もそうであるが「悲しみ」を歌うのである。
最近は「悲しみ」を、「ネガティブ(否定的)」だと言って避ける者も少なくないと聞く。もちろん「ポジティブ(肯定的)」だの「前向き」だと言うことも大切だ。だが、この両者のどちらかに偏るのが世の中ではない。青少年期の考え難い犯罪行為増加の背景に、「悲しき音階」を聞くことを避ける傾向があると書物で読んだ。「悲しみ」を擬似的にもで体験しなかった者は、人の苦しみや死を安易に仮想的な現実のように考えてしまいがちであると云う。恋愛の「悲しみ」や「苦しみ」もまた同じ、その苦悶を「ネガティブ」だと避けるがゆえに現実の「恋愛」に一つも踏み込めない若者が多い傾向が窺えるわけである。この夜は鈴本演芸場の寄席がYouTubeで生配信され、親友の金原亭馬治師匠が主任(トリ)の高座に上がった。落語には生きる悲しみが存分に描かれ、そこから再起する生き方が語り出される。長編の噺(唐茄子屋政談)を途中までで止め「この続きは来月の鈴本演芸場で」と幕を降ろす師匠の粋なWeb配信生中継であった。どうやらこちらは「聞き逃し配信」はなく、寄席にリアルに足を運び「ライブ」こそ演芸ということを見据えているような気もする。
悲しみの声こそ大声になるもの
映画も音楽も「悲しみ」を避けず追体験しよう
人間は奮起と再起の動物なのかもしれない。
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