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「音読嫌い」をつくる教室

2020-06-23
「音読をする意味がわからない」
小中高と過ごした多くの学生に沁みついた感覚
だから一人でも多く意義を理解した教師を養成する

学部2年生配当の遠隔講義で、Zoomで実施した渡辺知明さんとの対談を観ての講義レポートを課題とした。学生からは「短歌の音読がこれほど多様であるとは思っていなかった」「音読をして解釈等を話し合い、その後にまた音読をするので理解しやすかった」などの好意的な意見も多かった一方で、「これを観た上でも学校で音読する意味は見出せなかった」という意見があった。後者の意見を持つ学生からは「渡辺さんや先生のような音読なら意味があるが、多くの学校の先生方は音読を意味を考えずにやっている」という自身の教育経験から発する嫌悪感が根底にあるようだ。確かに県内で多くの学校に授業研究に行くのだが、小中高校と発達段階が進むにつれて「音読」は「頽廃的」になって行く現実が見える。

道具は誤った使用法を採れば、できるものもできなくなる。薬を誤った適用・用法で使用すれば副作用に見舞われ病は治癒しないどころか、身体の別の部分が悪化する。小学校低学年のうちは乳幼児期から音声言語で育って来た身体性・精神性を維持しているゆえに、音読には疑いも持たずに前向きに取り組む。だが小学校なら4年生の終わり頃、中学生になると2年生の夏頃、そこを境に「音読は頽廃的」になってしまう。こうした教育経験を多くの教員志望の学生たちも経験して来るという現実がこの講義で毎年のように痛感させられる。国語教育の研究でも実践でも避けられてしまうが、最大の問題を抱えた分野が「音読」なのではないかと思われる。今回実施した渡辺さんとの対談はYouTube上で公開しその中でも紹介しているが、両者の同時期に発刊された著書で世に問い掛けている。学生の中には「〈学校〉のすべての先生方に『音読の意義』を啓蒙するのは絶望的だ」とまで言い切り、いかに「音読」経験で苦しんで来たかを窺わせる意見を持つ者もいた。このような事態に遭遇し、やはりあらゆる機会を通じて「音読」について語り啓蒙していかねばならないと決意を新たにする。それほど「文字」のみに蝕まれてしまった100年以上の歴史を、我々は生きているのだ。

宮崎に定着する家庭学習課題「読み聲」
意義をわかるように目的を付した改良版を提唱したい
まずは眼の前の教員の卵たちには「音読」の意義を十分に体験的に説いておきたい。


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