オンライン歌集読書会ー『禽眼圖』『黒い光』
2020-06-22
「闇」「光」は「静」「声」にも「二〇一五年パリ同時多発テロ事件・その後」
対照的でもあり共通項もあり
大阪在住の歌人の方からお誘いいただき、題に示した2冊の歌集のオンライン読書会に参加した。対面であればたぶん関西地域でのみ行われた読書会であったかもしれないが、季節が反転しているオーストラリアからも数名が参加し、国内は東京から宮崎(私)までと東西に20名近くが参加し賑やかな読書会となった。僕としても初対面の人も多く、様々な世代の方々の参加で大変勉強になった。垣根を超えた多様性が求められる時代において、オンラインの普及は新たな意識変革を生み出すであろう。既にテレワークの議論で指摘されているが、何も人口が集中する都市部に無理して居住する必要はない。僕のような地方在住者が、このような読書会に参加できる環境が生み出されつつあるのだ。
今回は2冊の歌集の読書会であった効用も大きいと思う。比較相対化されることでそれぞれの歌集の特長が読書会の中で浮き彫りになった。内面の闇に正対し他者との関係性の中にいる自己存在に、承認を求める心の動きを写生的に描く『禽眼圖』。パリにおけるテロ事件の現実とその後の日常を、モノクロ写真と精選された短歌で描こうとする『黒い光』。僕自身は両者ともに「声」という視点から批評を試みた。「朗読の声の途切れて右耳からざんと抜けゆく白き両翼」など『禽眼圖』の歌では置かれている自己へ届く声を自覚的に描写する歌に惹かれた。また『黒い光』では、「声にならぬ声響きをりモノクロの排水管よりいつの世の風」には写真家・ユージン・スミスの『水俣』が意識され、「写真は小さな声だ」「写真はときには物を言う」というユージンの信念にも通ずる社会的な訴えを読むことができる。「声」とは時に内面的に保持され心の呟きで外部と関係を結ぶ葛藤と対立の中に誰しもその存在が必要なものだが、短歌という形式が社会的な現実を見つめる客観的な成果となることもある。あらためて「短歌=声」という概念も多様であり、近現代約150年間の今に生きる僕らに「短歌を詠む」=「声を上げる」ことの大切さを教えてくれた読書会となった。
あらためて参加者の方々と肌感覚で話したくなる
2時間半を自宅の書斎で大阪まで行った気分に
僕たちの短歌は決してコロナに負けないことを悟る。
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