土日の変革かくあるべきか
2020-06-15
研究学会シーズンながら土日は家で自分の時間として活かす
コロナ以後の時代のあり方として
コロナ禍によって見えていたが意識して見ないと見えなかったものが、社会や生活の表面に現れて来ている。満潮であった海面が潮が引いて干潮となり、本来はその海底にあったものが顕在化していると比喩するようにしている。改善したいが改善しないままに過ごしていたもの、「わかっちゃいるけどやめられない」ものを今こそ意識すべき時なのかもしれない。土日をいかに過ごすべきか?という意識は誠に顕在化したことの一つである。心身の休養という意味を含めて、僕にとっても新たな意識で過ごす日々である。通常であれば5月下旬ごろから研究学会の春の大会の時期にあたり、都市部へ数回は出張しているところである。今年は移動規制もあるが、もとより所属学会は全てが中止となっている。
状況としては遠隔講義の準備や学部内の実務により、かなりの負担が生じたのも事実である。せめて土日ぐらいは心身を休めないと続かない時期もあった。講義開始から約1ヶ月が経過して様々な負担にも慣れて来たのであろう、聊かあれこれと考えられる余裕も出て来た。研究仲間がTwitterでこうした趣旨のことを投稿していたが、「まったく同意!」と返信をした。遠隔講義そのものもそうだが、「遠隔」=「Web活用」は悪い点ばかりではない。学生たちが自ら学ぶべきことを自覚し、自ら調べ考え表現して学ぶ主体的な意識を付ける好機であるとも考えている。その上で適度な「対面」との融合を施し、教育効果を総合的に考えるべきであろう。研究学会もこの数年で会場校の負担(物理的・経済的)や会員の世代間の偏り、そして研究発表の質的な充実や国際化など、改善すべき問題は山積であったはずだ。今新たに可能なWeb活用などの方法で合理化しつつ、「対面」の大会・例会などの意味を問い直す必要がありそうだ。
地方大学所属の場合は特に重要な問題
テレワーク地方移住が目立つ世の中で
都市部にいなければできないことの溝が埋まりつつある。
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