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「パフォーマンス」にあらずー「聲」の学問

2020-05-30
聲にして読み解かれていく
オンライン講義でも『万葉集』を双方向音読
「パフォーマンス」と卑下してみる勿れ

5月31日(日)14時〜コトバ理論の実践研究家である渡辺知明さんとZoom対談をすることになった。SNS上のやりとりを通じて急遽決定したものだが、遠隔講義を始めとして「オンライン上の声」にも焦点が当てられる社会的状況下で、これ以上ない好機だと感謝の念に堪えない。この日は遠隔講義を終えた後、渡辺さんとZoomで打ち合わせの時間を持った。宮崎に赴任する直前に研究会例会に伺った際のことを回顧しつつ、最近は渡辺さんが若山牧水の短歌の表現にも深い興味を覚えていることの奇縁を感じることになった。牧水短歌の朗誦性に関して僕は既に何本かの評論を書いているが、その観点からすると渡辺さんが牧水短歌に惚れたのも必然なのかもしれない。牧水の短歌創作そのものに「聲」が引き剝がし難く関わっているのだ。核心については、当日の対談にとっておきたいと思うのでこのぐらいで。

和漢比較文学研究をしていた僕が音声表現に向き合い、自らも朗読家として幾度となく発表機会に参画してきた。10年ほど前になろうか、「”パフォーマンス”ばかりしていないで本道の研究をさらに進めよ」といった趣旨の忠告をある方面からいただいたことがある。だが中高教員であった僕は日々、生徒とともに教材を考えるための「音声」を実践している。〈教室〉でのライブ感は待った無しであり、その年その日にいる生徒らの授業は一生でそこだけである。「聲で共鳴」してこそ教材作品が十分に味わえる責務が果たせると思ってきた。教員養成系学部に赴任できたのも、2012年に出版した『声で思考する国語教育』(ひつじ書房)のお陰だと思っている。宮崎でも、当地に従来から定着してきた「読み声」課題のさらなる向上を目指す仕事もある。さらには牧水短歌に出会い直し「短歌と聲」について歌壇で今語るべき課題に向き合うことができている。「パフォーマンス」の語義は、本来「特に身体を用いて表現を行なう芸術形態をいう。」(『日本国語大辞典第二版』)とある。芸術として文学として「聲」を追究してこそ、和歌短歌が学問的にも解き明かされていくことを証明する機が熟したと言えるのかもしれない。

対談は録画の上でYouTubeに掲載される
渡辺さんの牧水短歌の表現読みが楽しみだ!
日々、埋蔵されている好機を逃さないことである。


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