Zoom対談やります!
2020-05-28
昨日の小欄を契機にZoom対談のお誘いが
5月31日(日)14時〜(いずれYouTubeに動画掲載)
Webの力をあらためて思い知った。昨日の小欄で、遠隔講義としてラジオDJ風に学生提出課題のドラマ朗読をしている旨を書いた。すると連携投稿されるTwitterに反響があり、DMへメッセージが届いた。それは宮崎に来る1年前、僕が朗読に関連する単著を出版したことを契機に、あれこれ助言をいただいた言葉や表現の研究者の先生であった。いささかDMでの会話をしていると、そのうちZoomで対談をしませんかというお誘いをいただいた。ちょうど今週の24日(日)に、所属する中古文学会のオンラインシンポジウムがあったばかりだった。頭の中でイメージができていた僕は、この学会シーズンにも全ての学会が中止になっていることもあり、特に予定もなかったので即座に実行を了承した。
対談の話題は「表現読み」、つまり身体的な音声表現のこと全般になるだろう。お誘いいただいた先生も最近は若山牧水に興味を抱かれているということ。牧水の短歌が「聲」を基盤に据えながら創作されており、評するにあたっても「音声表現」から解釈を考えていくべきと考えている僕の主張を具体的に語る機会にもなりそうだ。音声で表現するのことは、何も他者に聞かせることのみが目的ではあるまい。聲を発する自らも聞き手の一人であり、表現することで作品解釈が深まるという効用を見逃してはならない。多くの〈教室〉で行われている学校の「音読活動」には、この大切な視点が決定的に欠如している。音声表現をすることで自らが「読者=語り手」となり、その作品の地平の内側に立つことができるわけである。奇しくもこのコロナ禍によって、「聲」の存在に今一度光を当てる時が来たようである。
身体的に聲を出し解釈を深める
短歌が「わかった」というのはどういうことか?
Webの力のうちに素朴な身体性を語るという面白さを
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