力任せの底抜けの馬鹿ー常識を超える力
2020-05-21
「なんでも力任せ」「底抜けの馬鹿」は何にもできないのか?
否、常識を超えて希望へ突き進むから怖いんだ
慶應のすかした男に「いつも力任せ、底抜けの馬鹿に何ができるんだ」と言われ、怒り心頭な早稲田の応援部の連中。やたら熱く一本気で蛮カラな野暮ったい早稲田の学生が、やたら冷たく軟柔で西洋かぶれして都会的な慶應学生の対照性が露わになる。再び、朝の連続テレビ小説「エール」の一場面である。早稲田が正攻法で行くならば、慶應はがっぷり組まず脇からいなす、そのすかした態度を早稲田側は否定的に思っていることも少なくない。ドラマの設定は昭和初期であろうが、少なからず「昭和」の早慶にはそんな学風の違いが鮮明で、僕なども「早稲田の学生」を生きようとしていたところがある。地方の学生も多く、今も全国各地に友人がいるのは大学のお陰であるかもしれない。いずれにしても連続テレビ小説は、早慶の過去を熟知した演出で両校のそれなりの年代の卒業生なら、大笑いをしながら毎朝の展開を追っていることだろう。
「威力敵無き 精華の誇」という歌詞が「紺碧の空」の二番にある。誇り高き力あれば何事も恐れず突き進む、どんな難局にも耐えて打開する力。「紺碧の空」は、そんな学友の心をいつも支えている応援歌だ。時に常識では考えられない力までをも発揮する、それが連続テレビ小説中で慶應の学生が揶揄した「底抜けの馬鹿」である。現在では考えらえないが、早慶戦を神宮で終えた後に多くの学生が新宿の街に繰り出す。それなりに宴会を終えた時刻になると、歌舞伎町のコマ劇場の前の噴水池に誰ともなく飛び込み始める。その周辺のあちこちで校歌や「紺碧」を歌う輪ができたり、電柱に登るような奴まで現れる。知らぬ者同士でも蛮カラな同大学生と見なされると、池に落とされる始末だ。まさに「底抜けの馬鹿」、銀座の高級店ですかして飲んでいる慶應の学生とは大違いであることを誇りに思う「馬鹿」なのである。ドラマでありがたいのは、この「底抜けの馬鹿」を賞賛する演出であったこと。誇り高き「馬鹿」でよかったとつくづく思う次第である。
「紺碧の空」を三田の連中は「完璧の馬鹿」と揶揄した
なかなか曲が書けない「裕一」に託した「馬鹿」
これぞ人情に花あり、「花は桜木、男は早稲田」の見せ場である。
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