坂道を登る歌ー「紺碧の空」に背を押され
2020-05-19
現職教員と大学院生の二足の草鞋勤務先から自転車で最短距離を大学まで
途中幾度もある坂道を登る時の苦しさを超える歌
昨日の小欄でも触れたが、NHK朝の連続テレビ小説「エール」は、モデルが作曲家の古関裕而であり、今週は早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」の誕生秘話を描いている。野球の早慶戦で慶応に11連敗の屈辱に瀕していた早稲田は、慶応の応援歌「若き血」に対抗する奮い立つ応援歌を創りたいと応援部が動いた。詞は学生公募に時間をかけて秀作が得られたが、早慶戦まで2週間となって曲がつかない。応援部が作曲を依頼したのが・・・、というあたりまでが昨日の内容であった。野球部が奮い立つ応援歌、慶応に負けない勢いのつく詞と曲、昭和6年といえばまだプロ野球ではなく大学野球が野球観戦の花形であった時代。今も日本の高校野球から大学・社会人・プロ野球に至るまで、管楽器による応援歌を吹奏するのは、この頃の大学野球に由来するものだろう。
手元の『日本人名大辞典』を繰ると、「テーマや詩を前にして、その情景を浮かべる。すると、音楽がどんどん頭の中に湧いてくる」と云うのが古関裕而の格言として記されている。現在の連続テレビ小説では、未だ黎明期の熟達しない駆け出し作曲家時代が描かれているが、どうやらこの「紺碧の空」を契機として人気作曲家への道を歩み始めるらしい。前述したように「詞先」(詞が先にあって曲をつけること)で「(曲が)湧いてくる」という制作過程だったようだ。まさに詞の言葉の力に押されて曲がつけられたのであろう。思い返せば僕自身も青春期の学部時代から、幾度となく「紺碧の空」には助けられている。とりわけ現職教員を続けながら大学院に通った際に、勤務終了後に研究指導に間にあわせるには、自転車で強引に大学へ向かうしか手段がなかった。雨の日もカッパを羽織り、僕は自転車で幾度もある坂道を必死に研究者を目指して登ったのだ。その苦しさに耐える時、いつも心のうちで「紺碧の空」を大声で歌っていた。その前奏から詞に入るまでの起ち上り、後半の力強い曲調、「覇者!覇者!早稲田!」のところで大きくペダルを踏み込む。古関裕而さんの力無くして、僕はいま研究者たり得ていないのである。
早慶戦でピンチの時に投手を励ます力
学部時代は応援部のエールもマスターした
「紺碧の空」いま牧水先生らとともに宮崎で見上げる空である。
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