だから教育は対面なのさ
2020-05-13
「対面性・ライブ性でしか伝えられないもの」オンラインゼミで「対面性」なき対話にて
なぜ「学校」にライブ性は必要なのか?
遠隔授業がはじまり2日目、オンライン同時双方向の会議システムを使用しゼミを実施した。連休中に「オンライン新歓」と称し宵のうちに各自の家で約2時間ほど、新たにメンバーに加わった3年生3名の歓迎会を実施した。メンバーでシステムで対話するのは2度目となる。前回よりはだいぶ慣れた感はあるものの、システムで話すにはそれなりの制約がありコツが必要になる。我々の年代からすると、若い学生たちはネット環境にも慣れていると思いがちであるが、どうやらそうでもないらしい。長きにわたる「家にいよう」という状況も相まって、平板で立体性がなくアイコンタクトもできず香りもない画面上の対話には、少なからずストレスを感じているようである。ゼミではこの現在われわれが抱え込んだ問題そのものを、文学・コミュニケーションや国語教育の視点からの対話を行なった。
「人という字は人と人が支え合っている」と云う、嘗て「金八先生」が言っていたことが思い出されるが、「学校」には授業で学ぶ内容のみならぬ「人間」として「対面」することにこそに意味がある。休校の小学生の多くが「早く学校に行きたい」と言うのも、本能的に「対面」の身体感覚を求めているのである。「当たり前」であった「対面性」が剥奪されたいま、ようやくわれわれはそのありがたさに気づいたのかもしれない。オンラインシステムになると、対面ゼミよりも個々の発言に注目が集まる。だが参加者個別同士の「小さな対話(身体性を含めた)」はすることができず、議論は一定の方向にまで行くのだが、煮詰まり感まではいかないもどかしさがある。あらためて「話す聞く」の重要性についてもゼミ生から指摘があったが、「対面性」に依存し甘えて、われわれは「音声言語」を疎かにしていたのかもしれない。ラジオ放送のスポーツ中継アナウンサーは高度な伝達能力があり、言語とコミュニケーションの問題を考えさせられる。音楽の「ライブ性」を含めて、僕たちが希求している大切なものを再考すべき時なのだろう。
帰宅して妻とのかけがえのない究極のライブ性・対面性
結婚1周年を、さながら家をレストランのように仕立ててくれて
妻と「生きる(Live)」ということの幸せ
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