親を選べず、では住む場所は・・・
2020-05-11
大河ドラマ「麒麟がくる」父・斎藤道三は嫡男と闘い
家を継ぐのか国を創るのか
大河ドラマ「麒麟がくる」(10日付放送)で斎藤道三が嫡男との一騎打ちで討ち死にし、演ずる本木雅弘さんのこれまでの好演がもう見られなくなるのを惜しむ声が、Web上で多数上がったのだと云う。「美濃の蝮」という異名で「下克上大名」の典型として「成り上がる」ためには手段を選ばない人物としてドラマでは描かれてきた。謀略的で毒のある言動・奇行に反感を買いやすい人物ながら、「国はどうあるべきか」という壮大な「国主」としてのビジョンを持ち併せており、本木さんの表情一つが見逃せないドラマの魅力となっていたからであろう。世襲制で血統のみを重んずる守護の土岐氏と斎藤道三を比較すると、「国は自らが創る」という確固たるビジョンの有無が鮮明であった。武力や謀略でその活路を見出すところが前近代的ではあるものの、「国創り」という意志がある場所に住みたいと思うのが民衆としての本望であろう。
ドラマの主人公は明智十兵衛光秀(配役・長谷川博巳)であるが、道三側についた光秀は自らの家を継続するために、長年暮らしてきた「明智庄」の土地を苦渋の決断で出ることになる。ドラマの演出の上でも、十兵衛光秀は自らが身を委ねる「国主とはどうあるべきか?」という問題意識を若い頃から根に抱いていることが感じられる。人間は親を選ぶことはできないが、生きるべき場所は選ぶことができる。戦国時代ゆえ現在の県単位ほどの「国」としての意識が強く出るが、現在でも我々は「住むべき場所」を意志をもって選択しているのだろうか?この度の「新型コロナ禍」においては各国の対応が比較されがちであるが、我々が「選んで」いる「国主のビジョンの有無」を、今一度考えるべき時なのかもしれない。戦国時代から約500年の時を経て、一つの日本に僕らは住んでいる。次世代に向けてさらに広い「世界のビジョン」をもって、生きる世が来ているのかもしれない。
自らの人生と生活を委ねるもの
歴史に学ぶリーダーの資質
「今この時」は、500年後にどうドラマ化されるのだろうか?
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