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「竿だけ一本勝負」のライブ感に学ぼう

2020-05-10
「桑田佳祐のやさしい夜遊び」特別企画
「Keep Smilin’〜出来ることからちょっとずつ〜」
「お家でRADIO2〜竿だけ一本勝負」

妻の誕生日と母の日の間ということもあって、両親と四人で食事をした。この情勢で家でほとんど過ごしている母とは、なるべく日々LINEで情報交換をするようにしている。父はスマホも所持していないので(携帯はあるが)なかなか話せる機会もない。食事の時に父は「1週間か10日に1度は食事がしたいね」と漏らした。母はもちろんライブで僕ら夫婦と話せる機会が、とても嬉しいとばかりよく話をする。「人との接触」が忌避されてしまうなか、いかに「対面ライブ感」を保つかは人間として大切なことではないかと思う。毎週土曜日の夜は、冒頭に記した桑田佳祐さんのラジオ番組を楽しみに聴いてから就寝する。この日は「竿だけ一本勝負」という特別企画で、「竿」とは「ギター」の比喩(もちろん「竹屋竿だけ〜」に掛かっているのだろう)、『日本国語大辞典第二版』によれば、「三味線の胴から上の弦を張る長い柄の部分。また、転じて三味線の称。」とあり、「ギター」に転じたのもここに由来するのだろう。(またこれも辞典項目にあるが、あるものの「俗語」であるのも桑田さんらしい)

音声のみを伝える電話やラジオが見直されているように思うが、当該番組は「自宅からテレワーク」と言いながら、桑田さんと妻の原さんの自宅共演にスタッフがコーラスなどに加わった(オンラインなのか?)、さながらアコースティックライブであった。作詞作曲の桑田さんがアコギを自在に操り繰り出す曲たちは、歌い方もレコーディングとは違って自由奔放で楽しい。合いの手や間奏に挿入する小さな言葉が、ライブ感を演出する。想像するにたぶん桑田さんは、こんな風にして曲を書いているのだと思わせる雰囲気が伝わってきた。仮に素人の「カラオケ」が画面上に映る歌詞をなぞって読み上げているとするなら、玄人が自らの楽曲を自らギター演奏して弾き語るのは当然ながら明らかに違う。個体が持つ心の叫びを、韻律に乗せて表出する。しかも曲と詞が極限まで同化しているような印象を聴く者の心に「棹差す」ように投げ掛けてくるのだ。番組内で桑田さんも「ライブをまたやりたいね〜」と漏らしていたが、アコースティックなライブをぜひ生で体験したいと切に願う。真の「玄人」こそ、ラジオでも「竿だけ一本勝負」ができる。僕たち大学教員は、遠隔授業でどれほど学生たちにライブ感をもって授業を提供できるか。それぞれのプロ分野における、真の価値が問われているのではないか。

人間にとって「対面性」とは何か?
空虚な「文字の読み上げ」が横行するからこそ考えたい
桑田さん!またまた貴重な学びをありがとうございました。


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