海鳴りとあかき月光
2020-05-08
今朝も聞こえる海の聲満月の光の赤いことを知る
地球の呼吸のうちに小さな豆粒のような我
「海鳴り」という見出し語を手元の『日本大百科全書』(ニッポニカ)で引くと、「たとえば海岸から5〜6キロメートル離れた宮崎市内でも場所により聞こえることがある。」と記されている。まさに僕の自宅はこの「場所により」に該当するわけで、今こうして小欄を書いている間近の東側の窓を開けると、「海の聲」が聞こえるのである。前掲『百科全書』では、「台風や強い低気圧が海上にあるとき」とされ「遠雷のように聞こえる」とあり、特に激しい音を立てる際のことを云うらしい。だが「都市化の進行に伴う雑音のため近年では都会でこれを聞くのはまれになった。」ともされていて、宮崎県や高知県に瀬戸内海などと現在では地方にこそ特有な現象のように読める。それが日常的に聞こえる僕の自宅は、まさに稀少な環境と言えるのであろうか。たぶん、宮崎市の中でも中心部以上に聞こえる環境だと思う。
「海鳴り」は暁に昇る朝陽とともに、宵のうちは月光とともに僕の居住空間に漂っている。昨夜は満月が特に美しい光を放っており、連休中に整理した書斎の机に座り音と光の競演を身に沁みさせた。しばらくすると闇の空間に目が馴染んだのか、月光に色があるのが判ってきた。宮崎に移住してから、東京ではまず判らなかった月光の多様さにはいつも心を洗われている。その透明で澄んだ光の質感が、特に宮崎では特異に純粋であるように思う。尊敬する歌人の伊藤一彦先生も「月」に関する歌は多く、宮崎で生活してこそ得られた境地なのかと悟ることが多い。東京で薄汚れてしまった僕の心を、この丸7年と1ヶ月において月光が清浄化してくれたようにさえ思う。宮崎に生まれ生きる人々と同様に月光が赤く眼に映るのは、その穏やかさ優しさゆえであろう。幼少の頃からの生き様において、奮闘も紆余曲折もみんな見られてきた月よ。海鳴りをBGMに、しばし君と人生を語り合う宵の口であった。
ここで生きなければ決して得られぬ境地
月かげにあらためて心を完全に澄ませたい
自然の一部として生きている没我の境地を悟りたい。
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